Acid Mothers Guru Guru Mani Neumeier Session in Kobe

ⓉReport

Strada records様にLive Reportを掲載していただきました。

原文

2024年2月17日、Strada Recordsのすぐ近くにあるライヴ・ハウスHelluva Loungeで行われたAcid Mothers Guru Guru Mani Neumeier Session in Kobeを観てきた。

1960年代後半より活動しているドイツのクラウト・ロック~サイケデリック・バンドGuru Guruの中心人物でドラマーのMani Neumeier氏と、世界的に知られている日本のサイケデリック・バンドAcid Mothers Templeの合体、その名もAcid Mothers Guru Guruのライヴである。

元Canのダモ鈴木氏の死去以降、偶然か必然かドイツ絡みのイベントに遭遇している。Guru Guruには一時期ダモ鈴木氏が在籍していたようだし・・・。

開演後に会場へ訪れると対バンのKotsubokuのライヴが行われている最中だった。
クラウトマナーといったシンセサイザーの音色の裏でギターを弾いている曲がかっこよかった。
その後転換の途中でAcid Mothers Temple河端氏がステージに上がった。
彼らは『前打ち上げ』で知られている。

演奏後に行う打ち上げではなく、リハ等が終わった後の開演時間までで既に打ち上げが始まるのだ。
その日は満員ということでお目にかかる事はできなかったが、開演前に入場するとその姿を目撃することがあったりする。

お酒が入っているのか定かではないが、きっちりとしたMCを挟んだ後にKotsuboku x Guru Guruのspecial sessionが始まった。
さらに偶然旅行に来ていたという台湾のヘヴィ・サイケデリック・バンドDope Purple 劉堅白氏も加わってのセッションである。

こういったものはお互いの手を探るようにスローなテンポで行われるものだと踏んでいたが、Mani氏は初端からアップテンポなリズムでドラムを打ち始めていた。編成はギター×2人にベース×1人とドラム×Mani氏。

弦楽器3人の年齢を足しても御年83歳(!)のMani氏に及ばないという差であったが、それはただの記号だと掲示するかのようにMani氏の身体は若かった。
『飛び込んできなさい』
と云わんばかりに安心感のあるMani氏のドラムを背に劉氏らはギターをかき鳴らしていた。

その後Mani氏のドラムソロを挟んだ。
1人ドラムを打ち鳴らした後に、ステージに散りばめられていた鉄食器のような金属を、KORG Kaossilatorに乗せて打ち添えていた。
まるで雨漏りを受け止めるバケツ等が奏でるメロディのように、自然界に人工物を添えて鳴らされたような音楽だった。

そうしていよいよAcid Mothers Templeの出番である。
Dr.Mani氏、Gt.河端氏、Ba.津山篤氏(fromサイケ奉行)の三人からなる編成である。
Ba.津山氏が途中Vo.を挟む曲があり、まだ記憶に新しい故・ダモ鈴木氏を思い起こして胸が熱くなった。

ダモ鈴木はCanに加入する前、ドイツで道化師をしていたという。
それを見たCanのメンバーがダモ氏に興味を持ち声をかけて加入が決まったそうだ。
それ故か、当時のCanの集合写真を見るとダモ氏はアイドルのような華やかさを持っている。

以前大阪でダモ氏とMandoggのライブを見た時に思ったが、ダモ氏の声は楽器なのだ。
それは言葉を伝えるではなく、声帯として演奏しているのだ。
情報の少なかった6〜70年代にそんな武器一つでドイツに渡っていたダモ氏は開拓者だと思う。

『遠いところからやってきた変なやつ』
そう津山氏が歌っているように聞こえたのだが、それはダモ氏の事だったのではないだろうか。
Canの「Tago Mago」というアルバムにダモ氏の日本語が聴ける「Oh Yeah」という曲がある。

1人でそこに座ってる
頭のいかれたやつ
虹の上から小便
我らがヒモと呼ぶ

ダモ自身の事を客観的に歌ったのではないだろうか。道化という立ち位置だから成せる表現である。
ダモ氏の献杯は一夜では足りない。
朝がまだ来ないのを 幸なことに。

本文

校正 冨田秀之

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