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エネルギー資源の変化(その1)

中学校の技術分野では、エネルギー変換を学習する。このエネルギーの元となる物質と人類の歴史、調べると奥が深く面白い。できるだけコンパクトにまとめてみました。

(木材)


ヒトは昔から、木をエネルギー源として利用してきた。
木を使い明かりとして使い、木を使い熱を発生させて暖をとり、熱があるからこそ食事の幅も増えていった。狩猟採集の生活の生活から定住生活へと人々の暮らし方も変化すると、粘土製の壺が重宝されるようになる。水を通さないため、乾燥した食物も液体も貯蔵できるし、火にかけて調理にも使える。さまざまな粥や煮物やスープが作られるようになる。
しかし、焼き物を作る上で問題がある。水を通さない強い物にするには高温になるまで熱しないといけない。木は燃え始めは200〜300℃、揮発成分が蒸発して炭素だけが残るとようやく最大600℃くらいに温度が上昇する。人々は気づいたのだろう、木は燃え始めより、燃え終わる時の方が温度が高くなる。

(木炭)

木から揮発成分を出すことができれば、燃焼温度を高くすることができる。木炭を作る方法は焚き火への空気の供給を少なくする方法だ。もっとも単純な炭焼き釜は、丸太を隙間がないように積み上げて芝土で覆ってから、下のほうに火をつける。全体に火が回るまで数日かかり、その間、中を覗き込んでは、最適な温度で燃え続けるよう空気の量を調整する。木炭作りは長い時間がかかる。出来上がった炭素の塊は乾燥木材の2倍のエネルギー密度を持っている。燃やした時の温度も1000℃以上まで温度を上げることができる。
しかし、時代が進み各地に都市ができてくると大量の木炭が必要になる。15世紀オランダでは人口が多く、近場からの木材供給にも限界があった。森林は農業のために大部分が切り拓かれていたのだ。

(泥炭)


北ヨーロッパの海面付近の多くの土地は、泥炭といわれる湿地になっていた。大昔から小規模ではあったがこの泥炭は燃料として使われていた。初夏に泥炭を切り出して乾燥させ、荷車で家まで運び、冬になると燃やしていた。しかし、泥炭は木材に比べてエネルギー量が10%にすぎないうえ、大規模に利用するには海を利用した水上輸送をするしかなく、運河網を建設するしかなかった。
泥炭をもっとも効率よく使えたののはオランダだ。海面と泥炭の土地が同じ高さになっている標高の低い泥炭地が2箇所あった。泥炭を掘ると2、3m下に粘土層が現れるので、何もしないでも新たな港や運河ができ、そこを通って各地域に泥炭を輸送ができた。
これによりオランダは豊かになった。新たなエネルギー源によって経済が発展した。製塩業やガラス工業、醸造業や染色・窯業、レンガ製造業などいずれも泥炭が燃料として使われた。
しかし、1700年代には泥炭がほぼ取り尽くされてしまい、オランダの黄金時代は長つづきしなかった。

次回は忌み嫌われた「黒い石」


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