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卒社旅行。小笠原への旅4

 今日の午前は小笠原の歴史を知る戦跡ツアーに出かけた。ユースホステルのヘルパーたちも参加したかったという、小笠原に残る戦跡の9割近くを発見したとされる「板長」こと田中善八さんの案内た。齢83歳。ユースオーナーの佐々木等史さんからも「直接話を聞ける機会はもう長くないから参加した方が良い」とお薦めされたのがきっかけだ。
 元ヘルパーの宿泊客親子を含めた総勢8人のツアー。助手の女性とともに軽自動車を颯爽と操って現れた板長は、福岡県出身。5歳で終戦を迎え、和食に洋食と、様々な板場で料理の仕事を重ね、1979年から小笠原の戦跡発掘に関わるようになったという。
 連れて行かれたのは島の中央部にある夜明山(よあけやま)の登山口付近。長さ400メートルに渡るという防空壕には陸軍の通信司令か置かれ、隣には海軍の艦砲射撃の大砲が今も残る。発電施設や、住居、トイレ跡、銃を向けて構える「たこつぼ」と呼ばれる穴など、戦争のために2万人を超える兵隊が駆り出されたことを知る。
 米軍は南方にある硫黄島を陥落した後、進路を西に変えて沖縄に向かったため、父島と母島で地上戦は行われなかったものの、空襲や飢えで多くの人が亡くなったよう。兵隊のタンパク源はカタツムリ。
 戦争の愚かさと、それが世界で今も行われている人間の愚かさを改めて知るツアーとなった。

夜明山山頂付近から東側の海に向けられた砲台。父島には東西南北至る所にこうした軍事施設が築かれた
兵隊の住居部分のトイレ跡。風呂などはなかったそう

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