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馬鹿にしてはいけない

京都府A市に本拠地を置くO教は、戦前から戦中の2度に亘る大きな宗教弾圧を受けている。
特に1935年の第二次O事件の際には、多くの幹部と信徒が特別高等警察(所謂特高)による過酷な取り調べによって再起不能にされるなど酷いを受けた。
少し調べればわかる範疇のなのでここでは詳しく触れない。

これはMさんが子供の時分に、当時の島根県警察部特別高等課に所属していた遠い親類のAさんから聞いたお話。

教祖D氏はA市から山口県への巡教行の最中、島根県M市の教団支部で検挙されている。
本格的な取り調べは中央が行う事になっているので、県警部ではそれまでの勾留と調書の作成を担当した。
昼夜を問わない取調で容疑者の心を折るのが目的だから、兎に角あらん限りの罵りと人格否定(時には物理的に)を交代で浴びせ続けたという。
当時はまだ若いAさんもD氏の取り調べに参加していたそうだ。

何度か交代繰り返して2日程経った昼下がり。
Aさんと相方はその日もじっと押し黙っているD氏の前で怒声をあげていた。

取り調べも佳境に入った頃、Aさんは「おいペテン師め。貴様は今までどんな甘言で人様を騙してきた?一つ俺にも聞かせてみろ。」と挑発した。
何がそうさせたのかはわからないが、それまでダンマリを決め込んでいたD氏はポツリと「あなた方みたいな人には理解できんよ。」とつぶやいたという。
聞き逃さなかったAさんはつい「へぇ?理解できないって言うんならどうやって他人様を騙すんだよ?」と好奇心をくすぐられて声のトーンを下げてしまった。
「見せるのが一番早いな。」
「何を?」
「修行の成果、だな。」
「面白い。やってみせろ。」

D氏はふっと笑うような表情をしてからゆっくりと立ち上がり、背後の窓の方へ振り返ったという。
ぎょっとしてつられたように立ち上がったAさんからは、窓の外で寒風に晒されて揺れる僅かに茶色の葉が残る木の枝が見えたそうだ。

「おい」と声をかける前にD氏は両手で何かの印を結び、ボソボソと短く何かを唱える。
そして印を結んだまま手を前へ突き出し「えい」と鋭い気合を発した。
窓の外で《パン》と音がしたので見ると、枝から葉が飛び散りユサユサと大きく揺れていたという。
Aさんは相方としばらく顔を見合わせた。
「これ位の事なら容易い」
そう言ってから椅子に腰掛けたD氏は、それ以後元のダンマリに戻ったそうだ。
その後すぐに中央から来た担当に引き継いだので、D氏の顔を見るのはそれっきりになったらしい。

「だからという訳じゃないけどな」
子供のMさんにお酌をして貰った白髪のAさんは立ち給に片肘で寄り掛かり、
「真剣に修行している人を馬鹿にするのは止めたよ」
偶に本物がいるんだ、と言ってからコップ酒を旨そうに啜った。

Aさんは遠の昔に鬼籍に入られたので、確認のし様がないので残念である。

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