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ガラスのタマゴ

大分前にHさんから聞いたお話。
不思議なお話なのだが、珍しく長いのにちっとも怖くないのが印象的だった。長文ご容赦。

199〇年の春先にHさんはお仕事で中国山東省青島市へ渡航した。

日曜に総経理から食事のお誘いがあり、最近評判のお店へ行く事になった。
休日という事もあって沢山のお客さんがお店の前に車を停めている。
二本程離れた通りにやっと駐車スペースを確保できたので、そこから少し歩く事にした。

お店までの間に小間物を商う露店市場を挟んでおり、買い物客だけではなく、天秤棒を担いだ棒手振りや山盛りの袋を荷台に積んだ三輪車が行き来している。

そんなに大きくないが活気ある様に、Hさんは総経理の「覗いていく?」という言葉に一も二も無く賛同したそうだ。

趣味という訳でもないのだが異国情緒ある小物が大好きなHさんは、キョロキョロと居並ぶ商品に目を奪われる。

とはいえ骨董品街ではないのだから、安っぽい音と光が出るオモチャ、ピカピカした黄銅製の神仏カード、偽のヒスイで出来た安っぽい置物やアクセサリー類位しか並んでいなかったらしい。

それでも偶に面白い物が発掘できるので素通りできないそうだ。
プルバック式の"紅旗"のミニチュアカーは、多少高かったが細かいところまで再現されてかなり出来が良かったとか。
スエード生地でできたリラックマの頭型手提バッグはあまりの完成度に即買いしたそうだ。

胡同(フートン:中国語で路地の事)の交差点まで進んだ時、これもよく見かける光景なのだが、僅かばかりの商品をザルに並べただけの、真っ黒に日焼けた顔で灰色に見えるくらい土埃にまみれた紺色の人民服を着たおじいさん(実は年がわからない)が、十字路の角に座り込んで物売りをしているのが目に入ったという。

大抵こういう人が扱う物は、包装が破れたとか汚れたという理由で流通から弾かれた流行り物が大半で、そうでなければ自分で栽培した野菜、摘んできたり掘ってきた薬草・山菜であり、稀に古銭やチベット辺りの装飾などの事もある。
Hさんとしては『レベルが高過ぎる相手』といった感じで普段は近づかないのだが、その時ばかりはザルの中の商品に見て足が止まってしまった。

それは色ガラスを溶かして紋様を作ったガラスのタマゴだった。
今でこそアジアン雑貨でよく見かける商品だが、偶々Hさんは初見だったらしい。

それは雑貨店で袋売りされている様な不出来な物ではなく、L玉鶏卵の様な大きさと曲線、紋様も均一に浮かび出ていて、実に出来の良い美しいタマゴだったのである。

それが5つ、どこかから拾ってきたのか梱包材らしきスポンジの上に鎮座していた。

Hさんは人の波からふらりと抜け、黒いおじいさんの前にしゃがみ込みザルを覗いた。
黒いおじいさんは数本しか残っていない黄色い前歯を見せながら、ニンマリとした笑い顔をしてみせる。

何か言うのだが方言が強くてよくわからない。
Hさんがマゴマゴしていると、おじいさんはおもむろに傍に置いていたペットボトルを手に取り、中の水をタマゴに振り掛けた。
磨きの関係で曇ったタマゴの表面は、水に濡れた事で鮮やかな配色が顕わにした。

すっかり気に入ったので卵を手に取ってみる。
中まで詰まっているのかずっしりと重く、自然石ではないガラス特有の生暖かさを感じた。自然石なら大抵はひんやりと冷たく、ガラスなら外気温にすぐ馴染むから違いは明らかだという。
掛けた水のせいかちょっと生臭いのはご愛敬と言ったところ。

様々な色が層を成していて説明は難しいのだが、何となく『赤に緑』と『青に黄』が気に入った。
他のタマゴも欲しかったのだが、値段を聞いたところ思ったより高かったので諦めたそうだ。
今思えば値切っても良かったのかもしれないのだが、何故か言い値に従ってしまった。

黒いおじいさんはニコニコしながら、緩衝材も無しに赤いビニール袋へ卵を入れてくれた。

途中から傍で見ていた総経理に「買ったよ」と袋を開いて見せたが、興味無げに「良かったですね」と言われただけだった。

食事が済み、宿へ帰ってから卵を石鹸をつけて洗ったのだが、何故か微かな生臭さが残る。
結局帰国するまで毎日タマゴを洗う事になった。

帰国後、Hさんはしばらく間そのタマゴを鞄に入れて持ち歩いていたそうだ。
流石にその頃には臭いも薄れていたらしい。

ある日お酒の席でキャストに見せているうちに、つい遊び心でそのガラスのタマゴに『願いが叶うタマゴ』と名付け、掌に挟んで簡単なお願いをして貰うという遊びに使う事を思いついたという。

小さなお願いを吹き込んだ後に、「叶えて下さい」と言いながらタマゴにお酒を少しだけ掛けるという、お呪いでさえないただのお遊び。

何人かに遊びに付き合って貰い、「寿司食べたい」「お金欲しい」「〇〇ちゃんと付き合いたい」等とお願いを言葉にして吹込み、おしぼりの上でブランデーを一滴垂らす。
「叶えてください」「くださーい」と言ってからハンカチに包んで仕舞ってとりあえずその日はお開き。

翌週同じお店へ行った際、キャストに願いは叶ったかどうかを尋ねたそうだ。
因みに焼きアナゴの巻き寿司を手土産にしたので、お寿司の件はクリア済したと言っていた。
つまりはそういうお遊びなのである。
「10円拾ったー」微妙過ぎだ。
○○さんとのお付き合いという誰かさんの願いは未だに叶っていないとか。

それからも1~2回位は『お願いタマゴ』に願掛けを行ったが、当然都合よく願いが叶う筈も無く、あっという間に飽きてしまった。

こうしてお気に入りだったガラスのタマゴは、最終的にビニール袋に入れられ、居間の棚の隅に放置される事が多くなったという。

ある日の夜。
Hさんがもう寝ようと暗い居間を通り抜けようとした時、カサカサというビニールの擦れる音が聞こえた。
もっと正確に言えば、カブトムシやバッタなど大きめの昆虫をビニール袋に入れると発する音に酷似していたという。

耳を澄ませて発生源を探ると、案の定と例のタマゴを入れた袋だったそうだ。
特に袋の口を縛っていなかったのでGブリでも入ったのか?と思い、慌てて殺虫剤を取りに行く。

スプレー片手に帰ってきても相変わらずカサカサと音を立てているので、これ幸いとそーっと近づき、ノズル先端を袋の開口部へ。
それでもカサカサと動き続けているので、「もらったー!」と心の中で叫び薬液を放出した。

そのまま十分な量を袋に吹き入れ、間髪入れず手を伸ばして電灯の紐を引っ張る。
チカチカと明かりが点滅する中、袋は音をたてなくなっていたという。
明かりがついても静かなままだ。瀕死のGブリがヨタヨタと逃げる様子も無い。

何となく中を確認するのは憚られたので、袋の口を捩じってから一重に結んで置いておく事にしたそうだ。
次の日に処分してしまえば良かったのだが、頭からスッポリと抜けたように忘れてしまい、結局しばらく放りっぱなしにしてしまったという。

数日後の深夜、またカサカサという音を聞いた。
原因はまたしてもタマゴを入れたビニール袋である。
結び目は解けていない。

何だかとても気持ち悪いと感じたという。
仮にも密封してある上、薬剤が振り掛けられているのに。
違う虫の可能性もあるので早急に処分する必要がある。
しかし別段Gブリが怖い訳でもないのに、強い嫌悪感が湧いて触れない。
結局そのまま放置してしまったそうだ。

数日後。
丁度翌日が不燃物の回収日なので、今日こそ捨てようと決心してビニール袋をつまみ上げる。
袋の口が何故か緩んでいる事に気付き、念のため中を確認した。

先ず生臭かったという。
たんぱく質が腐るよりまだ薄いのが幸いだが、何となく買った時に嗅いだ様な臭いだと感じたそうだ。

『赤に緑』のタマゴが3つに割れていたらしい。
誰かが落したからかもしれない。
一応チラリと確認したところ、全部がガラスではなく、核に小さな石灰の様な塊が入っていてそれも割れていた。
ところでGブリの死骸は見当たらなかったそうだ。

もう大事にしていたタマゴに対してもう嫌悪感しか感じなくなり、クルリと結び直して不燃のゴミ箱へ放り込んだそうである。

あれからもう20年以上経つ。
その後まもなくして震度6強の大きな地震が郷里を襲い、Hさん宅は半壊した。
一度全てを崩してから建て直した為、『恐らく何もいないだろうね』と言ってHさんはお話を結んだ。


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Hさんからこの話を聞いた時、
タマゴから何が『生まれた』のかが大変気になった。
そしてそれがどこへ行ってしまったのか?
建て替えを機に他の誰かのところへ行ったのかもしれない、と想像した。

そして件のガラスのタマゴが今でも残っていれば、その正体を調べる事が出来るだろうに、と非常に残念だと思った。

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