見出し画像

夢の中で

Wさんは『夢に殺されかけた事が1度だけある』と言っている。
彼がその事に気付いたのは、病院のベッドの上で目が覚めた時だという。

この話を聞いたのは、私が自治体の先輩から聞いた『怖い夢』をWさんに話した後だった。
Wさんは「実は同じような体験が・・・・・・いや中身は全然違うんだけどね。『夢』が共通ワードってだけで。」などと言いながら語り始めた。

今の建築関係のお仕事に携わって間もない頃。
Wさんの記憶が確かならば、その夜はこんな夢を見ていたそうだ。

気が付くと建築中のお寺らしき大きな木造家屋の前に居た。
どうやら屋根瓦の葺き替えの最中らしい。周辺にはムシロ敷きに何種類もの真新しいいぶし瓦が積まれていた。

お寺の屋根瓦は一般家屋のモノとは違い、大雑把に言えば平瓦と丸瓦の組み合わせであり、敷き土の上に敷く事で隙間を減らし、風雨に耐えられる特徴ある形をしている。
もっともこの形式こそが本瓦葺の源流であり、江戸時代に普及した桟瓦とは違って・・・・・・閑話休題。

現代なら専用のはしごレールを使って屋根まで運び上げるのだが、夢の世界では荒縄で編んだ網に何枚か積んだ瓦を包み、高い屋根の端に立ったねじり鉢巻きに髷を結ったムキムキの職人が引き上げていたそうだ。
引き上げた瓦は屋根の上に組み上げてある台に積み上げ、そこから必要分を職人の手元まで運ぶのだと推測できた。
どうやら大部分の瓦は敷き終わっており、棟や巴と呼ばれる合わせ部分の細工作業を行っているところもあったという。

Wさんはそんな中で職人たちの様に忙しく動き回る訳でも無く、工事の様子を突っ立って見上げているだけの存在だったらしい。

現場の様子をフラフラと見廻っているうち、建物の四隅にあたる一角に、不自然な位に立派な鬼瓦を取り付けようとしている事に気付いた。
若そうな職人の一人が妙にリアルな形相の鬼瓦を重そうに両手で抱え、低い姿勢でじりじりと軒端に近づいていったという。

その様子にWさんは何故か近くで見たくなり、内心ハラハラしながらもそこへ向かった。
Wさんが下から見守る中、若い職人は無事所定の場所に置く事に成功し、固定しようと思ったのか腰の道具袋を漁り始めた。
金槌を取り出した瞬間、一緒に釘らしきモノが一本こぼれ落ち、瓦の上でカラリと音を立てる。

慌てた職人は釘に手を伸ばそうとして・・・・・・・果たして鬼瓦は落っこちたのである。
Wさんは勿論真下にはいなかったので、離れたところからゆっくりと落ち始める鬼瓦をただ見つめていたという。

だがここで予想外の事が起きた。
鬼瓦が二尺ほど落ちた途端、何もない空中でポンと跳ねたのである。
ハッとしたのもつかの間、跳ねた鬼瓦はWさんの頭上へ。

鬼瓦がゆっくりと回りながらこちらを睨み付ける様に迫ってくるのを目の当たりにしてWさんは硬直してしまい、手を上げて身を守る事も目を閉じる事も出来なくなってしまう。
鬼の顔がWさんの視界いっぱいに広がった瞬間、何故かニヤリと笑ったように見えたという。
そして暗転。衝撃も痛みも無かったとは証言している。

気が付けば冒頭にある通り、病院のベッドの上で寝ていたという訳だ。

奥さんに何が起きたのかを訪ねたところ、
奥さん曰く
「苦しそうに唸る声に目が覚めた。何事かと明かりを点けて見れば、顔中血塗れで呻いていた。枕の周囲も血塗れだった。慌てて声を掛けるが全然起きないので救急車を呼んだ。」
このまま死んでしまうのかと心配したが、当直のお医者様からは
『原因は分からないが全部鼻血』
『出血は既に止まっており、打ち身も無く鼻骨の異常も確認できない』
『念の為後でCTを撮るかな』と言われ、拍子抜けしたそうだ。
次の日の朝には退院して、午後には出社したという。

「いや、一人だったら死んでいたかもしれないだろう?」
そうですねぇとボンヤリ答えながら、私は冷めたコーヒーを啜った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?