見出し画像

雨の日限定

N県へ出張した際に聞いたお話。

運送業を営むSさんはN県北部でも特に奥深い山村で生まれ育ったという。

小中学校は辛うじて近くに在ったのだが、高校ともなると山からバスで麓まで降りて、更に最寄りの駅から電車に乗り、数駅先の駅で降りてから学校まで歩きという、何とも大変な3年間を過ごしたようだ。

一人暮らしやバイク通学にも憧れたのだが、手隙の時間があれば家業の手伝いをしなければならない為、卒業まで願いは叶わなかったらしい。
ただSさんは大変真面目な性格で、日本海側の豪雪地帯であるが故に交通機関の遅延着はあっても、キチンと証明を受け取るなどして卒業の際には皆勤を表彰されたそうだ。

そんなSさんがソレに気付いたのは梅雨時期に入ってからだったという。

早起きにも慣れたとはいえ、夜半から降り続く雨の中を長時間移動するのは流石に面白くない。

張り付いた雨粒が後方へと流れ去る車窓越しにボンヤリ外を眺めていると、
毎日のバス通学が始まって以来乗り降りする客を見掛けた事が無く、いつもは速度を落とさず通過するだけの、カーブで少し広くなっているところに設置されている停留所へ差し掛かるのがわかった。

いつもの様にバスが通り過ぎる一瞬に停留所へ目をやると、そこに傘を差して立っている人影を見た気がした。

普通停留所に人が居れば、乗客か否かに係わらずバスは停まるものだ。
なのに停まらなかったという事に、Sさんはちょっとした違和感があったという。
だが幾日か過ぎると結局そのまま忘れてしまった。

暫らく後。
雨の降る例のバス停留所で傘を差して佇む人の前をバスがそのまま通過したと認識した時、Sさんの中で好奇心が大きく膨らんだ。

必ずではないのだが、まとまった雨天の日にはほぼ見掛けた。
梅雨時は特に確率が高い。
晴天や曇天の時は確実にいない。
台風の様に極端な悪天候時は何故かいない。
小雨の時は何故かいない。
季節は関係ない様に思う。

地味な黒っぽい野良着によく判らない茶系模様の傘を差したお婆さんが、家具屋の色褪せた看板の貼られた古びて黒くなった木製の待合室の前に立っている。

三年間で一度だけ雨の日にその停留所でバスが停まり(ドキッとしたそうだ)、おじいさんが乗り込んできたが、その時はいなかったという。

Sさんは密かに『雨婆(あめばばあ)』と名付けて観察し続けたそうだ。

家人にも確認してみたし、小学校から付き合いがある友人達にも相談してみたが、『雨婆』に関する逸話や噂は殆ど聞けなかったという。

ただSさんと同じ様な子供時代を過ごした父親から「・・・そういえば随分前に、誰からだったか『バス停に立つ幽霊』の話を聞いた覚えがあるなぁ」と、たったこれだけの情報を得たらしい。
どこで?誰から?どこの?肝心な部分は忘却の彼方だった。

興味を持った友人と連立って数回は見物に行ったのだが、大抵の場合午後からになるせいか、友人に『雨婆』を目撃させるどころか自分にも見えなかったという。
雨の朝限定なのだろうか?
不便な場所のせいで、流石に雨の日の朝から付き合って貰える機会は無かったらしい。

親の車に同乗している時に見掛ける事も無かった。
Sさんがバスに乗っている時だけにしか見えないのだろうか?

勉強と部活と家の手伝いで一日が終わる身としては、わざわざ近所という訳でもないバス停がある集落で聞き込み調査へ赴く程の情熱が湧かない。
三年生へ昇級する手前で、自分にしか見えないソレに全く興味を失ってしまったという。

卒業後は都内で生活する事になり、何かの反動からか数年は実家へ帰らず、忙しくも充実した日々を過ごしたそうだ。

ある年の梅雨時。
ご実家の事情でどうしても一旦帰る事になり、東京のアパートを予定日ギリギリの真夜中になってから、給料で買ったバイクに跨り出発した。

途中で雨も降り始めたが構わず、休憩を挟みながらも峠越えの街道をひた走り、一旦N市を経由して夜明け前には海沿いの国道へ出た。
夜が明ける頃には、久しぶりに慣れ浸しんだ道を麓から上ったという。

例のバス停が見えた時、思わず「うおっ?!」声が出た。
降り頻るの雨の中、『雨婆』が相も変わらずそこに佇んでいたという。
Sさんが目の前を通り過ぎる時でさえ身動ぎ一つしない。

久しぶりに遭遇してしまったせいか、胸がバクバクして冷や汗が背中を流れた。
実家に着いて直ぐに熱いシャワーを浴びるまで、何故か体が冷え切って震えが止まらなかったそうだ。

とはいえ一本道なのでどうしようもなく、その後もしばらくは見たり見なかったりが続き、なるべく視野に入れない様にしたという。

定かではないが、本格的にSさんが実家に帰って来る事が決まった頃を境に『雨婆』は全く見なくなったらしい。

それから地元で働くようになって数年が経ったある日。
飲み友達から『バス停に立つ幽霊』の噂を聞いた。
何処からか流れ伝わってきた、誰が噂の元かも分からない他愛のない噂話だったそうだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?