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古都と遺跡と暗闇と

聞いた話や本から情報を集め、自身の解釈で組み立てた歴史を楽しむ人々がいる。
学説による根拠も何もない妄想の産物だから、大抵聞かされる側にとっては迷惑である事が多い。
お話しを聞かせてくれたHさんはそんな人々の一人。

島根県松江市は『水の都』『 不昧公の御膝元』『茶処松江』等の異名を持つ、美しい城下町として名高い都市である。
この都市の南西には市立病院に隣接する田和山遺跡があり、現在は貴重な遺跡の保護と最先端医療の提供が両立する形で存在している。

怪談好きの方ならご存じであろうか。
 この田和山遺跡の場所に病院が移転する際、推進派の市長と市議、建設会社の会長ら五名が相次いで急逝した為、これは《田和山の祟り》に違いないと、その筋の人々の間で話題になっている。
 そういう風説で語られた方が怪談に馴染み深い松江市らしくてしっくりくると思う。
(詳しくは検索してみて頂きたい。)

1月末に松江市で開催された怪談会へ参加する為、怖い話を色々と調べていた。
 田和山の話は昨年に語られており別段気にしていなかったが、何気なく検索したところ某掲示板の書き込みに「あれは怪談ではなくミステリーだ」とあった。
短に云えば「先ず賛成派が反対派に盛られた。そして担ぎ込まれた先が反対派の多い病院だった。」という話である。

古い都市は《自浄作用》があると聞く。
喇叭とか御庭番とか、そういう名称で呼ばれる集団の末裔と言えばわかるだろうか。
 その自浄の役目を負う方々が近代でも現存し暗躍していたとしたら?

戦国大名尼子氏の居城として有名な月山富田城が老朽化していたが、既に完成していた隣国の米子城と近過ぎる為、慶長5年に流通に便利なこの地へ築城が決まった。
ガチの要塞から新居へ政の場を移せば、当然内部の専門家達も城下町へ移動する事になる。
戦がなければ彼らは民間に馴染み、スキルを活かした仕事で生計を立てる。
薬事、医療は彼らの得意とするところだろう。

 この話は怪談ではなくそういう事なのかもしれない。
・・・とHさんは言っていた。

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