ムーティのイタリアオペラアカデミー2019「リゴレット」報告③


さて、3日目夜の部はピアニストが入ってムーティの歌手指導だった。
ムーティは、歌手に厳格なまでに楽譜通りを要求する。テノールが五線を超えた高音になるとすぐ楽譜の音価(音の長さ)を無視してのばしたがるのを再三制止。だが楽譜にテヌートの指示があったりオーケストラの伴奏がない場所では、”Fai tenore !” ここはテノールしろ(高音が長くなってもOKの意味)、と自由を強制?する。

2幕のラスト、リゴレットとジルダの二重唱の最後のリゴレットのラの音は現在の公演ではお客様が喜ぶので必ずと行っていいほど1オクターブ上げて高いラの音を張り上げて長々と歌われる。しかしムーティはそれも許さない。
いわく、
ある時パルマで、リゴレットの高いラの音が素晴らしいので2幕ラストでアンコールが鳴り止まず3回同じところを繰り返したことがあったそうだ。
バカバカしい!せっかくのドラマが台無しだ!
パルマの人々は自分たちがヴェルディを作ったという自負がすごいが、ヴェルディはジュゼッピーナ・ストレッポーニ(長く事実婚状態だった2番目の妻)との関係を散々糾弾されてパルマが大嫌いだった。パルマに行かなければならない時はいつもポー川をはさんだとなり町のピアチェンツァに宿をとってパルマには泊まらなかったくらいだ。

ヴェルディのスコアは演劇的に完璧だ、とムーティは言う。2分、4分、8分音符、付点や複付点、全て言葉に合わせて正確につけられている。セリフとセリフの間の休符も音価通りでドラマが成立するように書かれている。(もちろんイタリア語には自然な抑揚があるので機械的な楽譜通りとは少し違うのですが…)

歌手が音価を間違えたり音程を外していたりするとムーティは歌を止めてよく響く鋼のような声でお手本を歌う。3回くらい繰り返してから歌手に歌わせる。まるで5歳の子供に教えるようだ。1回で上手く行かないとフレーズを分けてみたり間違った例と比べたりアプローチを変えて、歌手が理解して修正するまではあきらめない。

レチタティーヴォ(アリアや重唱ではない語りの部分)に関してはほとんど演出家のような指示が飛ぶ。3幕のリゴレットと殺し屋スパラフチーレのやり取り、あきれたように歌を止め、2人の紳士が仲良く喋ってるんじゃない、これはドラマだ、テアトロだ!と。
死んだ公爵が入っているはずの袋を殺し屋から渡されるとリゴレットは顔を確かめたくて「光を!」と言う。しかし本当は身代わりになって刺されたジルダが入っているので、スパラフチーレは「光?いや、金だ!」と報酬だけを要求する。このやり取り、全ての単語で音色が変わらないとドラマが機能しない。
ムーティに指摘され歌手もハッとして歌い方を変えていく。

今回の歌手たちは皆素晴らしい声を持ち、ムーティの要求にもすぐに応えて間違えを修正するのも早かった。若手ですがすでに劇場でのキャリアを積んでいる歌手たちてす。

マントヴァ公爵(テノール):ジョルダーノ・ルカ
リゴレット(バリトン):フランチェスコ・ランドルフィ
ジルダ(ソプラノ):ヴェネーラ・プロタソヴァ
スパラフチーレ(バス):アントニオ・ディ・マッテオ
マッダレーナ(メゾ・ソプラノ):ダニエラ・ピーニ

イタリアでは、オペラ歌手になるべくして生まれた人がいるといつも感心する。声はもちろん素晴らしいがその上に役のキャラクターに入っていける知性を持つ歌手。今回で言えばマッダレーナ役のダニエラ・ピーニはその点ピカイチだった。
少し暗めのメゾの声、骨太な発音が殺し屋の妹にとてもふさわしく、しかし艶も忘れない。台本に忠実に、言葉の色を的確につけ無駄な脚色はしない。
そうするとダニエラ・ピーニが消えてマッダレーナというキャラクターだけが浮かび上がる。
音楽に助けられてオペラ歌手は役者よりも厳格にキャラクターに入ることができるのかもしれない。言い換えれば、作曲家は全てを音楽に書き込んでいるのですね。

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