みんな、どう生きてきたのかなと思いまして…

(字面暗いけど前向きな投稿ですよ💐笑)

うちの母は、「本っ当 日本に生まれたのってラッキーだよねぇ」って、私が小さい時から今まで何回言ったかわからない。四六時中言うけど主には、世界のニュースを見ながら。
私は、隣でそれを聞きながら、賛同できたことは一度もない。口ではそうねとは言うけど。
母はただ単に、あんな目にあわないで済んでいる、という事実を言っているだけで議論は求めてないからね。
それに、「人間なんて滅んだほうが地球のためにはいい」っていう口ぐせも同じ頻度で出てくる人だから、頭がお花畑なんじゃないこともわかってる。
それでも、「あんな目にあう人生」と、「あんな目にあう人生がある環境を横目に生きる人生」を私には比べられない。あんな目にあいたいのかとは言わないでほしい。私はどうしてもそう考えてしまうので、母のセリフを自分は口に出す気にはならないということ。

高校生のとき特に、そんな物悲しさに包まれてふさいでしまった時期がある。そんな風な感じ方で生きていくと終いには病気になっちゃうよ💦とアドバイスしてくれた友達がいた。先見の明ありすぎだ。実際ご覧のように病気になって笑、原因は生まれつきではあるものの、考え方というのは大きな要因パーツなのも自覚がある。そう、毎晩旦那がしておられるのび太寝が私もできた翌日は、症状が少し軽いもんね。

でもどうしても感じてしまうし、そこを大いに含めないと私には人生の目標は見えてこなかった。人生の指標がないと、仕事の大義名分が決められなくて辛い。忙しさに流されながら、ふとした合間につけて、自分の指針にフィックスしないと、現代社会やってられなかった。
色んな仕事をしたけど、だからどの仕事もやりがいを持てたから、まぁ良かったかな。

悲しみと懸念は、行動力も産んだと思う。知識を求めるきっかけになるし、悲しみを無くそうとする動きも起こす。

ちょっと、感情移入を弱くしてコントロールした方が心身にはいいんだろうけど、今日も憂鬱をひきずりつつ、日々に取り組む。

クーデターが起きて自分の生活が一変したけれど、やることは変わっていないなとも思う。

上記のどこかに共感する人、いるだろうか。

そして、もっとこういうことを、クーデターの前から友達と話してみてればよかったなと思う。
一緒にボランティアに行ったりしても、なかなか話はその場限りになっちゃってたりね。

何回話しても、結論がでないだろうけど、
「Yes/Noが答えにならない問題の方が多い」と言っていた先輩がいて、大事な言葉だったなと思います。

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