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答え合わせがもう出来ぬ場所

社会人になってから度々懐古している大学生時代の特定の記憶がある。そして懐古する度に、その中の断片が抜けていることに気づき、思い出そうとするのが、無理であることに気づく。

記憶というのは、ベタな話かもしれないが、私が大学生一年時代に一方的に好意を持っていた人と花火大会を見に行ったことである。当時住んでいた大学付近からの家から、近いとは言えない程度の東京のどこかの河川敷まで、花火を見に行った。進学と同時に上京し一人暮らしを始めて半年も経たない私にとって、東京で行くところなんていうのは、学校か近くの電車で行ける新宿と大抵決まっていた。故に、東京の河川敷に行く初めての道中はより新鮮だった。

記憶は感情としては保存されているが、情報としてほぼ中身がない。どんな話をしたかとか、そういう類のことはあまり覚えていない。かろうじて覚えているのは、「将来どういう職につきたいか」とか「夏風が心地よいね」とかその程度の話のみである。有頂天だったからに違いない。

社会人になってこの感情の記憶を思い出す度に、「もう一度あの場所に行って当時を思い出したい」と思う。
同時に、いつもその直後に、抜け落ちた断片に気づく。
「あの河川敷ってどこだっけ?」

LINEは数年に1度程度は管理面的ないざこざが起きるもので(そうだよね?)、例に漏れず、私の当時のやりとりは残っておらず、どこの河川敷に行ったという情報がなかった。
けれども、東京の花火が見える河川敷なんていうのはそう多くはなく、かつ、当時住んでいたところから一時間程度で行けたところとなると、「これらのうちのどれかだろう」と言える程度には絞れた。

そして今日、私はそのうちの最後の河川敷に向かい、独りで長草を踏みつけながら生ぬるい風をゆっくりと切り裂きながら歩いて、確信した。
「もう分からない」

具体的には、見つけることが不可能というより、「同じ場所に行って、《ここだ!》と心から認知して、懐かしさを味わうこと」はもう無理だと思った。
その理由は、「今いる場所が当たりかもしれないのだが、記憶が朧げで実感が全くない」のだ。当たっているかもしれないし、そうでないかもしれない。
だから、もう私の中でのあの河川敷は「答え合わせが出来ぬ架空の場所」になってしまった。

「はぁ」と誰もいない夜の河川敷にため息をついて、懐古を諦めた私はその場を後にした。

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