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絶対的な私の味方、もう恋にはならないだろうか。

実は同一人物です。
気がついている人もちらほらいるかもしれませんが。

ありえないと言われることもあるだろうと覚悟していますが、私は今でも彼と二人で食事をしたり、言葉を交わしたりします。

私が彼の言葉に救われていること、彼が私の一緒に生きたい人間の一人であること。
今後いつかパートナーができても伝えるつもりは一切ありません。大切な友人の1人として紹介するでしょう。


彼は、家族以外で私の1番の味方の一人です。

きっととかではない、絶対。
私がどんな私になっても、私の味方でいてくれる人間です。

私が私を好きでいられない時も、俺が好きでいるからと私の分まで私を愛してくれます。
私のネガティブを優しく包みながらも、そうではないと、君はちゃんと周りから愛されてるよと教えてくれます。

いつか、大好きな言葉を綴る人が綴っていた
「この愛はなぜ恋になってくれない。」という言葉と出会って、その時はあまりよく分からなかったけれど、
月日が経って、彼と私の間に流れる愛は、もう恋にはなってくれないのだろうかと何度も思いました。

この人の前だと、ありのままの私でいられます。
わがままだって言うし、これしたいあれ食べたいあれがほしいあそこに行きたいも遠慮なく言います。
無茶苦茶なことだって言う。
何より言葉を選ばずとも、選べずとも私の気持ちをそのままで、意味の誤差なく受け取ってくれます。

私も、彼のすべてを「彼」で受け入れる。
考え方が変わっても、大事にしたいことが変わっても、そうか、そう決めたのね。と、それでも変わらずあなたを愛しているよ、と。
それ以外の何者でもない。

お互いがお互いを受け入れると書きましたが、私たちは割と誰に対しても合わせることができる人間です。
合わせられるからこそ、我慢することや息を潜めることも多い。
それが、2人でいるときはあまりありません。
その分予定はめちゃくちゃ狂います。(笑)
出発時間も大体1時間は遅れるし、映画は何回も遅刻したし、行こうと言っていた場所に行かず、行く予定のなかった場所に行ったりする。
それを嫌だと思ったことがありません。
丸8年それが続いてるから、きっと彼も思ったことがないのでしょうね。


最初からそうだったかと言われると、そうではありません。
というより、そうではなかったことを思い出しました。

今でこそ心のうちを言葉にできる私たちですが、出会った頃から2、3年は2人とも口下手すぎて、本心を話すことの方が珍しかったです。
言えないことが多くてヤキモキしたし、彼の気持ちを察することができなくてそわそわしていました。
それが今の関係に変わったのは、NVCを大切にするコミュニティに一緒に入ったことが大きかったかもしれません。
(私が触れてきたNVCについてもいつか綴りたいなあ)

彼と恋人ではなくなってから、友人として、仲間として、恋人だった時以上に言葉を交わし、気持ちを汲み取り合い、弱いところも、大事なことも、ドス黒いところも手渡しあって、それなりに受け取り、受け入れあってきました。
どうやって生きてきたか分かってるからこそ、1人の人間として接するようになったからこそ、彼がどんな人間かを見てきたからこそ、どうやったって嫌いにはなれません。


「一緒に生きるならば、この人と生きてみたい」ではなく、
「この人と一緒に生きることができたならば、どれほど幸せだろう」と思います。
なぜ、私はこんなにも大切な彼の手をとって一緒に生きようと言えないのだろうと、いつも考えます。
彼と私の間に流れるものは間違いなく愛情なのに、この愛はもう恋にはなってくれないのか。と心から恨みます。

彼以上に生きることを許してくれる人はいません、きっと。
することを応援してくれる人もいません、きっと。
分かろうとしてくれる人も、大切にしようとしてくれる人も、いないんです、きっと。

いつか、この愛が恋にもなればいいのに。
もう、恋にはなってくれませんか。
ただ、私に自信がないだけですか。


明日からね、彼が遊びにきてくれるんです。
何しようかな、どこに行こうかなってずっと楽しみなんです。
大好きなカフェに一緒に行きたいし、彼が好きなクレーンゲームもしたいし、美味しいご飯も食べに行きたい!
明日も仕事頑張ります。



2024.10.01


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