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呪縛

人と接触しながら働いていると、色々考えることがある。コンビニなんて、お客様にとっては、ただそこら辺にあるコンビニエンスな滞在時間の短い場所かもしれないけれど、店員側からしてみると、多種多様な人間がたくさんみられる場所だ。でもカウントしたことがないので、一回のバイトで何人を接客するかは分からない。うちの店舗は駅チカでもなんでもない、ちょっと駐車場の広いコンビニなので、おそらく人が多いか少ないかと言われたら、少ないんだと思う。

昨日も、小学校のときによく一緒に帰っていた、一個下の後輩が一緒で、「暇すぎません……?」と呟きながら値引きシールを貼ったりグミを並べたりタバコを棚に入れたりしていた。コンビニバイト歴が2ヶ月くらい長いので、あいつの方がバイトでは先輩ではある。それにしてもまだトレーニング中のやつを2人きりで店舗に配置するのは正解なのか?     店長は裏でずっと会議をしていた。たまに「いらっしゃいませこんばんはーー」という声が被ってしまい気まずくなったり、膝が痛いという文句をひたすら言ったりしていた。



まあ暇であればあるほど、ぼーっとしながら思考してしまうのは仕方がないことだ。毎日来るあの髪の長いお兄さん(おじさん?)には、コーヒーを頼まれたら絶対に先にカップを渡さなきゃとか、小銭を全部分けて箱にいれて持っているおじさんのこととか、バーコードを全部こちらに向けてくれる人はバーコードをスキャンする仕事をしたことがあるのかなーとか、あ、あの人タバコ絶対に2種類買ってく人だけど26番と54番だったかな?とか。

最近特に考えてしまうのは、極旨メンチカツのことだ。バイト先のコンビニには「極旨メンチカツ」などなど無駄に「極旨」とかそういう修飾詞がつけられた商品がある。本当に極旨なのか、食べたことがないので知らないが、まあコンビニの味がするんだろう。誇大広告みたいな名前を付けられたメンチカツの気持ちを想像すると、すごく可哀想になる。だってどうせ極旨じゃないのに。極旨になりきれずに、でも名付け親からは極旨でいてほしいという願望を押し付けられ、その間で板挟みになるメンチカツは、どういう思いをしているのだろうか。

でもよく考えたら、そんなの人間だって同じで、例えば伶という名前には利口なとか賢いとかいう意味がありますが、私は別に賢くないし利口でもない。でも実は伶という漢字には音楽を奏でる人、という意味もあって、まあそこから考えるとあながち間違ってもないかな……という気分にもなるけど。まあとにかく賢くも利口でもないこんな人間になってしまったけれど、「ああ賢くないな……親の期待に添えてないな……」と思うことはあんまりない、いや嘘。よくある。めっちゃある。賢くないことをやらかしたときに、おいお前は伶って名前のクセになにやってんの?    って思うし。やっぱりメンチカツも気にしてるかもしれない、極旨なんていう名前を付けられたことを。


こういうことを裏から出てきた店長に言ったら、全く理解してもらえず、というか多分あんまり聞いてなかったと思う。だから今これを書きながら父親に言ってみたけど、ふーんってしか言われなかった。
でも友達が、「名前につけられたものがその人が人生で1番渇望するものになる、みたいな迷信読んだことある」と言っていたので、もしかしたらあのメンチカツは極旨になることを一生願い続け、私は賢さを追い求めながら生きていくのかもしれない。とにかく、名前って意外と呪縛なのかもしれない、とバイト中に思った話。

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