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ありのままでいる。ということ


物心ついた時から、私は太っているという自覚があった。
今、思うと、ちょっとぽっちゃりかな?くらいの時もあったが、ほとんどの期間を、かなり太っていると思って生きていた。

太っていることを自覚するに至る過程には、周りの人からの言葉がかなり影響している。

父は、幼い頃からぽっちゃりしている私のことを『ブッチー』と呼んだ。
おそらく父に悪気はないだろうが、私はずっと傷ついていた。
いまだに、私のことをそう呼ぶ時もある。

背が高いほうで、骨もしっかりしていたから、どんなに痩せた時でも、標準を下回ることはなかった。ずっと私は大きい子だったから、「丈夫そうだね」「元気そうだね」とよく言われた。
一見良いことのように感じるだろうが、「(体がデカくて)丈夫そう」「(そんなに太れるんだから)元気そう。」と遠回しに嫌味を言われていたのも、結局は傷ついていた。

ダイエットを頑張っても、友人の母から「あんたは痩せても顔デカイよね」とか言われ傷ついているし、大人になって合コンに行くと私のお尻を叩きながら「まだ尻がデカイな」と露骨に体型へのダメ出しをする男の人に、私は傷ついていた。

私は人の言葉に傷ついてきたんだ。
悪気があるものも、ないものもあるって分かってる。過剰に私が言葉を悪く受け取ってることもあるだろう。

でも、その中には私を傷つけようとした悪意に満ちたものもあったし、上から目線で私をジャッジした人もいたと思う。

私が体型コンプレックスをまだ抱えているのは、このような幼少期からの小さな傷つきの積み重ねが溢れてしまったことにあるのだろう。

傷ついたにも関わらず、言葉を飲み込んだり、見て見ぬふりしたり、笑ってごまかしたりした『ツケ』は、結局は返さないと、無くならないのだ。

それなら『ツケ』を返してやろうじゃないか。
どこにツケを返したらいいか、分かっていないが、私は私の思う方法でツケを返してやる。

もうすぐ、私は49歳になる。
この、コンプレックスで溜まったツケは40代でキッチリ返すとここに誓いたい。
傷ついてきたツケを、傷ついたことを見て見ぬふりをしていたツケを全部まとめて返すのだ。

ツケがたまりすぎて見えてなかった正真正銘の『ありのままの自分』を取り戻すのだ。

ありのままの私でいること。
それは、人前で笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣けること。
自分に嘘つかず生きていけること。

そのためにも、49歳は、ありのままの私を溺愛しまくる1年にしよう。
溺愛しまくって、かまいまくってやろう。

これからの私のnoteには、そんな私の話を書いていこう。
49歳の私の全てを書き記していきたい。

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