「小分けにする」②
先日は物的な「小分け」についてお話をしましたが、今回は目に見えないものの「小分け」…そう、「時間」の「小分け」のお話。
「自分の時間が欲しい」「時間にゆとりが欲しい」「時間管理を徹底してもっと他のことをする時間を作りたい」…なぁ~んて話、よく聞きますよね。
でも、私が思うに「時間は作ることができない」。
人間の発明や文化って便利な生活を送るためのもの。便利になるということは今までは時間がかかっていたり、面倒だったことが簡単になること。
例えば昔はどこへ行くにも歩いていくか、お侍さんなら馬にも乗れたか…どちらにしろ移動には時間がかかっていました。
それが車、新幹線、飛行機、あっという間に移動できるようになりました。
でも皆さん、飛行機に乗るようになったら暇になりました?全然ならないでしょ。移動時間が短くなればその分浮いてくるはずの時間が、本人が「短くなった移動時間の残りをどういう風に使おうかな~」なんて使い道に悩む間もなく周りがどんどんやることを押し付けてくる。
ねっ、「時間は作ることができない」でしょ?
フージー氏はだんだんとおこりっぽい、おちつきのない人になってきました。というのは、ひとつ、ふにおちないことがあるからです。倹約した時間は、じっさい、手もとにすこしものこりませんでした。魔法のようにあとかたもなく消えてなくなってしまうのです。フージー氏の一日一日は、はじめはそれとわからないほど、けれどしだいにはっきりと、みじかくなってゆきました。
(ミヒャエル・エンデ作 大島かおり訳「モモ」岩波書店)
それじゃあ、自分の時間を得ることを諦めろっていうの?…いやいや…確かに時間は作れるものではない。
時間とは「ねじ込むもの」はたまた「打ち込むもの」。
今ある時間にまるで楔(くさび)の如く、強引に打ち込んでいくんです。
とはいうものの忙しい日程の中に、例えば「本当に自分がやりたいこととは何かを考える時間を2時間ほど…」っていったってどうやってもねじ込めないですよね。
そこでメモ用紙や手帳、ペンをポケットに入れておいて3分とか5分とか、待ち合わせや待ち時間、食事の後の休憩時間にちょっと思いを巡らせて頭に浮かんだものをメモしておく。
一回だけでは大したことではありませんが、一日に何回か、一週間に何回か繰り返していけば結構膨大な自分計画策定の時間になると思います。
この「ねじ込み時間」を有効に使うためには先程の例の筆記用具の準備など、ふとした時間に何かができるように準備をしておく必要はあります。
私は「絶対に紙派」を自認するほど電子書籍を毛嫌いしていましたが、ある時にどうしてもすぐに読みたい本が売り切れていて電子書籍でしかすぐに手に入らなかった時に本が再入荷するまでということでダウンロードをしました。
するとちょっとした待ち時間にスマホを持てば本の続きを読むことができる…こりゃ、便利だ🎵
もちろんいまだに紙媒体の本を買う方が圧倒的に多いですが、電子書籍も結構有効に活用しています。
「やりたくないけどやらなきゃいけないこと」というのは腰を落ち着けて何かを広げないとできないことが多い気がしますが、「急ぎではないけどこれをやっておけば自分のこれからに役に立つ」ということはこの「ねじ込み時間」でまずはの準備ができるような気がします。
ふとした時間に何ができるか?…そんなことを「ふとした時間」「ねじ込み時間」に考えてみてもいいかもしれませんね。
【参考文献】
ミヒャエル・エンデ 大島かおり訳「モモ」岩波書店
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