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大学生が出会ったベイルートの一角 番外編 「シリアック・クリスチャン」

はい、ニッチなレバノン紹介だよ〜。

レバノンの政治体制の肩書の1つー「多極共存型民主主義」ー政治学者のアレンド・レイプハルトが唱えたこの概念はレバノン社会を観察する際に必ずぽわ〜んと脳内に浮上してくる。というのも、レバノンには18の宗派が存在し、キリスト教の宗派だけでも11は存在するからだ。

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(北部タラーブルス市内の聖ジョージ・ギリシャ正教会内部・筆者撮影)

レバノンで一番有名なキリスト教宗派と言えばフランスの後援を得まくったマロン派カトリックであろうが、今回は敢えてマイノリティたるシリアック・クリスチャンを軽く取り上げてみたい。

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(ベイルート市内のとあるシリアック系高校。シリア語・アラビア語・英語表記がなされている:筆者撮影)

シリアック・クリスチャンを簡単に描写すれば、シリア語を日常会話(あるいは典礼)で用いるキリスト教徒を指す。トップ画像にもある通り、あれがシリア語である。

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(シリア・カトリック総大司教座・アッシリア人大虐殺Sayfoの記念碑。少女の怯えている姿がひしひしと伝わる:筆者撮影)

レバノンのシリアック・クリスチャンは1915年にオスマン帝国内で起きたアッシリア人大虐殺(Sayfo:シリア語で剣の意)を契機に、レバノンのベイルートや内陸のザハレに数多く集住するようになったと言われている。

...余談であるが、レバノンが生んだ中東の生ける伝説、歌姫ファイルーズ様もシリア正教会の家庭に生まれたのだ。

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(ベイルート郊外のシリア正教会:筆者撮影)

ベイルート郊外にはアッシリア人の街Sadd El-Baouchriyeもあったり。シリア系教会の内外はいたって簡素であり、余分な豪華絢爛さを一切排除している。いいね。

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(古代アッシリア帝国に想いを馳せたであろう彫像@町の殉教者広場&その手前にあるアッシリア東方教会:筆者撮影)

…シリア語の字体はカッコイイ。

中東はイスラームは勿論、レバノンに来訪するのであればキリスト教少数派も目に焼き付けていかないと幾分か勿体無い、という言葉を持って略式的なキリスト紹介の締め括りとさせて頂きたい。

いや、最後に一つ。シリア語の主の祈り(Abun Dbashmayo)を以って、被災されたベイルート民衆に僅かながらの精神的連帯を。

(文責 Al-kataigi Al-shuhei)



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