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大学生が出会ったベイルートの一角 第五弾「おしゃれと空港間の空白」

ベイルート!って言うと中東通の中でもなかなか小洒落た街。バーやクラブがあるし、中東のパリって言われたりして。ただそのオシャレな北部と玄関口の空港のある南部の間、貧困地区のこと、ご存じですか。

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今日お話しするのは、第一弾でお話したコーラの南部、ダーヒヤと呼ばれる貧困地区、そしてパレスチナ難民キャンプ。これらの地区は爆発の直接影響は少ないにせよ、タクシー運転手や建設労働者が多い。とある夜、ベイルート市内で乗せてもらったタクシー運転手。「出身はどこ」って聞くと、「ダーヒヤ」。話し口、聞いてるラジオの選局、雰囲気から分かったのかもしれない。

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実はダーヒヤ地区に行ったことがある。2000年代に受けた攻撃により建物は破壊され、インフラが行き届くまでの復興の風潮さえ感じられない。南部行きのバスには観光客が見られず、外国人は奇異の眼で見られる。皆さんに行ってほしいと決して勧めない。ただ、ここの住民も北部の経済に参加していることは忘れないでおきたい。

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また、ダーヒヤ少し北にはパレスチナ難民キャンプがある。キャンプとは名ばかりで、閉鎖された空間だ。1945年のイスラエル建国時に祖国を追われた難民が、十分な住居や生活環境なしに暮らしている。ただ、悲劇を悲劇で語りつくすのが今回の目的ではない。ここでも日本人が活躍する様子に感銘を受けた話で終えたい。

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レバノン滞在中に、難民キャンプ近くのグラウンドでのサッカーに誘われた。子どもたちとのサッカーだ。日頃から運動しない私はすぐに勇気ある撤退(疲れたんです笑)。ただ、子どもたちが生まれた環境にも関わらず、元気に走り回り、その後、ほとんど走らず休憩している私に水を持ってきてくれたのは嬉しかった。

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そんな多様なベイルートを知ることで今必要なことがわかる。そんな意味でもここに記しておきたかった。(文/写真 馬場響)

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