見出し画像

那珂湊地区の地名由来01

旧那珂湊市で昭和61年3月に発行された「那珂湊の地名」から地名の由来を紹介していきます。

湊の七不思議
今から30年ほど前、明治17年生れの老婆から採集された次のような歌がある。
ここで湊の七不思議
大川ひかえて小川町(おがわまち)
坂もないのに釈迦町町(しゃかまちちょう)
龍も棲まぬに龍ノロ(たつのくち)
川もないのに流れ町
沢山あるのに一軒屋
富士もないのに富士ノ上(ふじのうえ)
牛も棲まぬに牛久保町(うしくぼまち)
姥の懐(うばのふところ)にゃなあー なあー なあ— えよえー さあー
姥の懐にゃ乳がない
 この歌は、老婆が子どもの頃に聞いて覚えていたものであるから、おそらく幕末から明治初期にはこの郷土に流布していたのに違いない。
 「湊の七不思議」には、湊地区の町字名と俗称地名が入っている。郷土の祖先は、日常生活の中で日頃疑問に感じていた身近な問題を、このような歌に託しているとも思われる。
 「湊の七不思議」のはじめに取りあげられている湊地区の「小川」は、山ノ上台地の岩石が那阿川に接しているところで、そのため「岩間町」ともいわれていたという。それがなぜ那珂川という「大川ひかえて小川町」なのかは、確かに不思議なことといってよい。しかし、大川を小川という文字に間違ってしまったのでない限り、誰もが「小川」と認める意味がなくてはならないのである。
 このことは、のちに一枚の絵図の発見で解決されることになる。その絵図とは、享保8年(1723)の大洪水によって、旧魚市場辺からその地先の那珂川が変貌する前の状態が描かれているもので、川の中には「中嶋」という中洲があり、常澄村側に「中川」が流れ、湊側に「小川」が流れている。すなわちこの「小川」に由来するもので、すでに享保以前からあった理由のある地名ということになるのである。

那珂湊の地名(昭和61年那珂湊市発行)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?