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「メタバース」の夢のその先で

 本稿は私ななななの個人の見解であり、バーチャルマーケット運営のものとは異なります。 ヘッダー画像:「星骸の岩宿」

「メタバース」は何のパラダイムシフトか

 「メタバース」を取り巻く狂騒は、インターネットの普及によって「コミュニケーションの場」を仮想現実上に持てるようになったということが、遅ればせながら一般層に浸透していく過程です。
 直接顔を合わせなくとも仮想空間で「その場に立って」「声やテキストでコミュニケーションを取れる」ということは、マルチプレイヤーゲームやVRの世界に入り浸る者たちにとっては至極当たり前の話です。しかし、折からの新型コロナウィルス流行によりステイホーム・リモートワークを経験した先進国の一般層にとっては、これは真新しい体験だったようです。この現象に後から名前を付けて、投資や投機の対象として騒ぎ立てているのが、今の「メタバース」です。
 「直接会わなくてもコミュニケーションができる」ということが一般に広まるにあたり、重要なのはその「メタバース」に触れるための媒体です。PCの画面の中のボクセルアバターではなく、VRデバイスを使った仮想現実(VR)が使われるようになると考えます。コミュニケーションのやり方が変わることで、物質的富よりも人柄や楽しさを重視する方向へと価値観の変化も促されるでしょう。

猫も杓子もメタバース

 2021年10月。「メタバース」という言葉が急に人口に膾炙するようになりました。下図は「Google Trends」で「metaverse」を調べた結果ですが、ロケットで空に昇るような伸び方です。

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https://trends.google.co.jp/trends/explore?q=metaverse

 バズワード(流行語)の常として、話者によって「メタバース」の意味するところはバラバラです。メタバースは当初はVR=バーチャル・リアリティ(仮想現実)の世界を指す言葉だったのが、流行りに乗りたい我田引水がただの2Dのコミュニケーションソフトも「メタバース」と呼び出して。また、「Decentraland」や「Sandbox」など暗号資産を扱う者たちは、「NFT」を発行するための仮想の土地を作れる場所として「メタバース」ののれんを使いだしました。Facebookは2014年にはOculus社を買収して既にVRに参入していましたが、今年7月にはメタバースの創生に注力することを宣言、社名を「Meta」に変更しました。

「メタバース」の再発見

 メタバースという言葉は元はと言えば、1992年にSF作家のニール・スティーヴンスンが小説の中で使ったものです。VRやAR(拡張現実)の世界では広く使われている言葉でしたし、先進性で名高いVRプラットフォームであるNeosVRは5年以上前から自分たちのVR世界のことをメタバースと呼び続けていました。
https://www.roadtovr.com/neos-aims-to-be-the-google-docs-of-vr-world-building/

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https://neosvr.com/
NeosVR 空も飛べるしアイテムも出せるしVR空間内でプログラムも作れる

  対して、2021年10月になってようやく「メタバース」という言葉を使うようになった者たちは、3次元空間であることやVRであることにはそれほどこだわっていないようです。奇妙なことに、彼らはそれまでに「メタバース」として活動していたVRサービスよりも、「仮想空間」というものがあるということ。その中で他人とコミュニケーションを取ったりゲームで遊んだりすることができるということ。そういったごく当たり前の話を「メタバース」と呼んでいるようなのです。
 「最近『メタバース』と騒ぎ出した連中は、HMDを被ったこともないしVRという体験に浸っていない。中身なく理解もなくVRの先人たちへの敬意もなく、先進性ある言葉だからと標榜しているだけじゃないか。」
 そう批判するのは簡単です。しかしそれなら、何が彼らの目にそんなに新鮮に映ったのか。なぜ、たかがボクセルのマルチプレイヤーゲームにプレイヤーとして多額のお金をつぎ込むのか。たとえ「メタバース」が投機のネタとして大げさに祭り上げられているだけだとしても、その神輿とするに足るほどの先進性があるとみなされたのはなぜなのか。
 彼らが驚き、価値を見出したものの正体は何なのか。私はその答えを、「仮想現実空間の上にコミュニケーションレイヤーを作ること」だと考えています。そうして、「距離の制約無しにその場にいるかのようにコミュニケーションを取れること」。

遅れてきたインターネット

 VRヘッドセットを日常的に使うような層は、「対面」のコミュニケーションのための最高位のツールとしてVRSNSを利用していますが、VR以外の他のコミュニケーションツールもまた先進的なものを使っています。趣味のプロジェクトではDiscordですし、会社ではSlackやGithubを活用していると良いなと思います。ちなみにVR業界の会社には、Discordを業務に使う会社もあります。
 2010年代、高速な無線通信回線(インターネット環境)とスマートフォンが普及したことで、単なる音声や文字列のみならず、高度に整理・規格化された情報をシームレスにやり取りすることができるようになりました。SkypeやDiscordでは「誰が話しているか」が可視化・階層化され、テキストでのやり取りや画像・ファイル共有も容易。メールに取って代わるべくSlackの初版が出たのは、2013年のことです。
 しかし、(先進国でも)世の多くの人々は、これらの便利で優れたサービスを活用していませんでした。社内のコミュニケーションは対面がメインだし、社外の人とはメールや電話でやり取りします。「電話」です。2021年現在、なんと電話を使っている人たちは存在するのです。LINEやDiscordやSkypeのようなインターネット通話ではなく、「電話番号」を使って電話線のネットワークで声を届けるものです。もっと古い「FAX」という技術を使っているところも多いです。FAXとは「ファクシミリ」のことで、電話のネットワークを使って相手の印刷機から印刷物を出力することで紙の情報を送りつける技術のことです。そのFAXすらまだマシなのかもしれません。公的機関からの通信は「郵便」で届きます。通販の商品とか礼品とかではなくって、純粋に情報を届けるために、ヒトが玄関先まで紙を運びます。

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https://www.photo-ac.com/main/detail/1039992
コピー・スキャンに加えFAXを送受信できる複合機 紙の情報とデジタルな情報を繋ぐオフィスの必需品

 「IT化」とか「DX化」とかの題目で新しいツールの恩恵を得ようとする運動は起きていましたが、依然人々は直接会って話すことにこだわり続けていました。相手の表情や身振り手振りがどうとか、雑談がどうとか、そんな理由で。
 2020年から2022年にかけて、この状況を塗り替えるような災害が世界を襲いました。新型コロナウィルスの流行です。対面で会って話すと命に関わる。それも、相手の命に関わる。そんな状況がリモートワークの急速な普及を促し、会社や学校はZoomやGoogle Meetを導入せざるを得ない状況に追い込まれました。
 インターネットで可能になった新時代のコミュニケーションに一気に触れるようになったことで、電話や郵便や電子メールではないコミュニケーション手段があることに、その方が便利であるということに一般層が気付きました。これは潜在的に、コミュニケーションツールの市場が急拡大することを意味しました。

位置関係を持つコミュニケーション・インターフェース

 「メタバース」という言葉は非常に広い範囲のサービスやソフトウェアに使われるようになりましたが、そのほとんどに共通するのが「コミュニケーションのインターフェース」であるという特徴です。Fortniteのようなゲーム系であればマルチプレイヤーですし、暗号資産系ならば「他人に見せびらかしたい顕示的消費」という特徴が顕著になります。
 「メタ」「バース」という語はそれぞれ「高次の」「世界」を表して、基底現実ではない世界という意味のはずですが、実際に使われる「メタバース」はその世界に複数人で参加することを内包していることがほとんどで、さらには複数人でのコミュニケーションを核としていることが多いのです。
 コロナ禍を経て、対面や電話に代わるコミュニケーション手段がありうることが認知されました。Zoomの背景はバーチャル背景が使われ、ウェブ会議システムの延長としてAltSpaceなどのVRプラットフォームが利用されることもありました。距離が離れた相手と話すとき、自分たちはどこの場所で話しているのか。現実目の前にはいない相手と話すために、仮想の会議室や仮想の土地というものがありうるということが、認識されるようになりました。
 「メタバース」商売をしようとしている者たちは仮想空間上の「場所」や「土地」を売ることが眼目ですが、その前提条件として「仮想空間」が存在し得るということが認められている必要があります。対面と電話でしかコミュニケーションを取らないような人たちには、仮想空間という概念を理解させることは困難です。それがコロナ禍により、ここではない場所で遠くの人と話すことができること、仮想空間があり得ることが、広く一般に認められるようになったのです。
 流行りに乗って生まれてきた「メタバース」系サービスたちは、Zoomのようなウェブ会議システムと比べて、「距離と位置関係」があり、フィールドやアイテムなどの「世界」があります。コミュニケーションの「場」をはっきりと視覚化し、さらには「メタバース」という場所を話のネタにできます。
 最近になって「メタバース」に乗ってきた者たちは、コミュニケーションの場は現実に限らず「仮想空間」でも良いということに気付きました。これが彼らにとっては驚きだったからこそ、その「先進性」を一般層向けにさかんに宣伝しています。
 ……「先進性」といっても。VRを使わないただの「仮想空間」は、MMORPGという形で1990年代から隆盛していましたし、2003年に運営開始されたSecond Lifeは、仮想空間を明確に生活の場として規定してユーザー制作コンテンツを広く取り入れていました。VRデバイスに対応していない「VRプラットフォーム」やただのVoxelオープンワールドなどは、ブロックチェーン技術方面はともかく、「メタバース」としてはまったく先進的ではありません。「二番煎じ」ですらありません。もっと遅い周回遅れです。

彼らが望むもの、彼らを満たせるもの

 ここからは、未来の話をしていきます。巷で「メタバース」が騒がれるようになったことの裏に、「仮想空間」が一般層に浸透する下地ができたという理由があったとしたら。そこから、どんな未来像を描けるでしょうか。「メタバース」という言葉が広まって、広範な層が「仮想空間」に入ろうとしたら、どんな結果が待っているでしょうか。
 まず重要なのは、「メタバース」に触れるためのインターフェースが何になるかです。仮想空間を外から見るのか、中に入るのか。
 私は、より優れたインターフェースが出てくるまでは、VRデバイス及びVRデバイスを活用するサービスが広まるだろうと考えています。なぜって、こうなる前から「仮想空間」で暮らしてきた者たちが、VRを選んだから。

コミュニケーションツールとしてのVRの優位性

 コロナ禍で触れるようになったSkypeやZoomのようなウェブ会議システムについて、一般層の一部からは「対面でないと伝わらないことがある」という不満の声が出ていました。「空気」とか「ジェスチャー」とか「非言語コミュニケーション」とか、そういった「対面ならでは」のコミュニケーションがうまくできない、と。
 「メタバース」がウェブ会議システムを超えて、リアルのコミュニケーションと同じように一般層に使われるようになるには、この課題を克服する必要があります。ただ便利なだけでは足りません。人間の原始的なコミュニケーションを「メタ」に模倣し、代替しなければならない。デフォルメされたアバターが曖昧な位置関係で立っているだけでは「相手の顔を見る」ことにならない。ウィンドウに相手の正面顔を映すだけでは、「顔を合わせる」ことにならない。コミュニケーションレイヤーとしての仮想空間は、相手と一緒に「中に入れる」ものでなければなりません。

 コミュニケーションツールとしてのVRの最大の強みは、実はここにあります。
 VRならば、アバターの中に入って相手の「目の前」に立ち、リモコンで身振り手振りの「ジェスチャー」ができて、微妙な距離の調整と声の調子を通じて「空気」を伝えることができます。うなずくこと。アイコンタクト。あいづち。そういった繊細なコミュニケーションが、VR空間ならばZoomより遥かに精密に再現できます。
 またVRでは、プレイヤーたちの位置関係は3D音声に反映されて、カクテルパーティー効果により多人数での会話を容易にしてくれます。声の方向から話者がわかり、聞きたい相手の声を聴き分けることができるのです。Zoomでの多人数での会議では同時に複数人が話すことが難しいですが、VRならそれができる。話題が別れてきたら、ごく自然にグループに分かれて話し始めます。
 さらに、社会的関係として許す仲であれば、「スキンシップ」だってリスクなくできます。日本が極端に少ないだけで、世界的には握手などのスキンシップは日常的に行うもの。それがコロナ禍でできなくなり、あるいは高リスクになってしまっていました。VR空間なら感染リスクはゼロですし、触覚に作用するわけではないからそんなに嫌な思いをするわけではない、ことが多い。いや個人差はありますが。「VR感覚」が発達していれば「感じ」られてしまいますが。
 社会的意義としては、毛づくろいはやっているという事実が大切なのであって、それを触覚で感じられるかは副次的に過ぎません。Zoomと違って、VR空間ならば握手もハグもできます。あたかも目の前にいるようにして。
 だからか、VRSNSでは「VR飲み」がけっこう一般的に行われています。「口元が見えないからうまく飲食できない」?とんでもない。実際には「Zoom飲み」は普及せず、VR空間での飲み会は広く行われるようになりました。お酒を飲みながら話して仲良くなるという、「非言語コミュニケーション」に頼る人々にとって大切なコミュニケーション手段が、VRならば可能なのです。

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https://vrchat.com/home/world/wrld_30716c54-3565-42f7-b7c5-d398ef4faac5 VRChatの代表的な飲み屋街「ポピー横丁」

 「メタバース」を騒ぎ立てる人たちは、悲しいかな、XRソフトウェアの開発ができるような技術力も知見もノウハウも持ち合わせていませんでした。OculusやHorizon Worldsを握るFacebookとは違います。声が大きく宣伝力があっても、先端コンテンツを開発できるわけではない。だから、単なるVoxelのゲームを「メタバース」と名付けて囃し立てないと行けなかったのです。
 彼らの非VRの「メタバース」は、残念ながら一般に広く売れるものではありません。「表情」も「身振り手振り」も「空気」も伝えられないなら、Zoomのようなただの会議アプリとそんなに変わりません。話者が立っている位置をTPS(あるいはFPS)で示せるというだけ。それでは不十分です。3D空間にアバターを置いただけで、対面コミュニケーションのエッセンスを補うことはできません。
 「メタバース」を自称するゲームたちは結局はゲームであって、そしてゲームとしての競争相手はMinecraftやFortniteそしてRobloxなどです。マルチプレイヤーのゲームはコミュニケーション手段の一種であり、簡単で「報酬」の多い課題を協力して解決したり、あるいは対戦で切磋琢磨したりして、コミュニケーションを取ることができます。顔を合わせていなくても、同じ遊びに一緒に取り組むことで仲良くなるというコミュニケーションの形は成立し、対面できない状態での人的関係の構築に役立つことがあります。
 しかし現状の暗号資産系の「メタバース」ゲームたちは、「メタバース」を言い訳にして、競合と戦えるほどにゲーム性を整備できていません。コミュニケーションではVRに勝てずゲーム性では既存の有力ゲームに勝てない。それが彼らの実態です。

 Meta社のMark Zuckerberg氏は7月にThe Vergeで行われたインタビューで、画面を通してコミュニケーションを取る様態は不自然であり、ARやVRで「存在感」がある形でコミュニケーションを取れるようにしなければならない、という旨の発言をしています。Zuckerberg氏に言わせれば、「小さな光る四角形」を通してコミュニケーションを取って、グリッド上に顔が並んだ画面を見て話すというのは、人間が交流する上であるべき姿ではないと。VRやAR、広義のメタバースが実現しようとしているのは、人々が「存在感」を感じながらもっと自然にコミュニケーションを取れる状態であると。そうすることで、よりリッチでリアリティのある交流ができるようになる、と。その証左の一つとして、ゲーム向けに出したつもりだったOculus Quest2が実際にはVRSNSでばかり使われていて、他の人と会ってコミュニケーションを取るために使われたという事実を指摘していました。

https://www.theverge.com/22588022/mark-zuckerberg-facebook-ceo-metaverse-interview

インターフェースとしてのVRの優位性

 「メタバース」の波に乗ろうと生まれたイメージ先行の「メタバース」ゲームたちは、この新たに生まれたコミュニケーションツールの需要を取り合う中で、VRに敗れることになるでしょう。「メタバース」に触れるためのインターフェースはVRやARが主力になります。そう考えるもう1つの理由は、インターフェースとしてのVRの優位性にあります。
 VR向けのHMDの解像度は初期と比べて大きく向上しました。2016年に発売されたミドルエンド向けHMDの初代VIVEは、片目1080×1200の解像度。筆者も3年以上愛用していましたが、細かい文字や繊細な動きを表現するには不足がありました。しかし今や、ローエンド向けの安価なHMDとしてOculus Quest 2が普及。初代VIVEの半分以下の値段で、片目1832×1920の解像度が実現しています。
 SteamVRやOculusにはVR向けHMDを被ったままデスクトップを表示する機能がありますし、XSOverlayのように、他のVRアプリを起動しながらデスクトップ向けのアプリケーションを使うためのソフトもいくつも出ています。
 これって、単純に便利です。3枚も4枚もディスプレイを並べるより、もっと広い視界を情報で埋めることができます。ウィンドウも「掴んで」動かせて感覚的。HMDは確かにかさばりますが、ディスプレイよりは場所を取りません。将来的には、パソコンのディスプレイの代わりのように「普段使い」することが当たり前になっていくでしょう。先に述べたように「顔を合わせて」話せる上に、情報表示デバイスとして扱っても使える視野角がディスプレイより広いとなれば、VRのインターフェースとしての優位性は明らかです。
 VRの普及を今まで阻んできたものは、重量と値段です。かさばるし重いし、数十万円する高性能PCに十数万円するVRデバイスがなければ楽しめない。それが高い高い壁になっていました。
 ちなみに、ゲーム向けのHMDが登場したのは1990年代のことですが、それより前から航空機パイロット向けなどの軍事目的でHMDは使われてきました。「ゲーム向け」に出せるようになったこと自体、技術革新による価格低下の産物なのです。

 皮肉なことに、この壁を取り払うであろう存在が、FacebookあらためMeta社です。「メタバース」騒ぎが始まるはるか前から、「Oculus Quest 2」という手頃で十分高性能でスタンドアロンでも使えるHMDは、市場の価格破壊をもたらしていました。
 Meta社はHorizonのようなプラットフォームに加えてOculusのようなデバイスに注力することで、ソフトとハード両面から「メタバース」を創っていくを狙っています。Facebookの資力で本気で投資を行うからには、HMDのようなVRデバイスの価格下落はさらに続くし、HMD以外のVRデバイスも開発が進んで消費者市場に登場してくるでしょう。ガジェット開発は規模の経済が利きやすいのです。さらに今月には、触覚を再現するグローブ型ハプティクスデバイスのプロトタイプが発表されています。

 技術的課題が解決されて、もっと便利なVRやARのデバイスが出てくるようになれば、それが市場を席捲するのは「自然の流れ」というものです。
 携帯電話の通信回線が整備され、全面タッチパネルの「iPhone」型のスマートフォンが出てきたとき、世の人々や大企業たちはガラケーをなかなか捨てようとしませんでした。しかし、インターネットにアクセスする上でスマートフォンはより優れたインターフェースであったため、性能が上がり価格が下がるにつれて普及していきました。

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https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r02/html/nd252110.html 総務省 令和2年 情報通信白書 図表5-2-1-1 情報通信機器の世帯保有率の推移 より

 上の情報通信白書の図をご覧ください。スマートフォンは急速に普及しています。と同時に、パソコンの世帯保有率が低下してきています。日本の貧困化など様々理由が言われていますが、ともかく「スマートフォンだけ」「タブレットだけ」持っているという層が現れてきています。
 そして、Oculus Quest 2はパソコンよりも安いのです。Meta社などがモバイル・スタンドアロンのHMDやARデバイスを開発し続けるなら、一般家庭向けのユースケースではVRHMDがパソコンよりも優位になっていくのかもしれません。HMDの端末としての性能が上がっていけば、パソコンを買わずにVRデバイスだけを買うという人々が増えていくのかもしれません。

コミュニケーション手段の変化は歴史を変えてきた

 それでは最後に、VRデバイスが普及してVRSNSがコミュニケーションツールとして広く使われるようになり、メタバースが「特別な未来」から「一般的な日常」になっていくことで、世界がどのように変わりうるかを考えてみます。
 人類がコミュニケーション手段の変化を経験したのは、何もこれが初めてではありません。過去の歴史上起きたコミュニケーション手段の変化がどのように世界に影響を与えたかを見ることで、今現在起きている変化がもたらす結果を予想することができます。

 人類の歴史は通信手段の革新とともにあり、そしてコミュニケーション技術の進歩は地理的制約を取り払ってきました。
 数万年前、旧人類は進化の道程の中で頭蓋骨の変化を経験し、徐々に「言葉」というコミュニケーション手段を身に着けてきました。具体的にいつどのようにしてこの能力を獲得したかは学説さまざまですが、ともかく話し言葉を習得して、それによって十人百人という大集団で力を合わせて行動することができるようになりました。ホモ・サピエンスは言葉の力によって発展し、ネアンデルタール人などの他の人類を圧倒しました。
 次に経験した大きな変化が、「文字」の発明です。情報を粘土板などに保存することができるようになったことで、長期間に渡る保存や、遠隔地への情報の輸送すなわち通信ができるようになりました。文字によってリーダーの声や法を遠くの支配地にまで届けることができるようになったことで国家が成立し、四大文明が興りました。
 文字を遠くに届けるために、重要なのは運び手の移動速度です。「王の道」を整備したアケメネス朝ペルシア帝国は紀元前に三大陸にまたがる「史上初の世界帝国」(https://www.chuko.co.jp/shinsho/2021/09/102661.html)を築き上げ、街道網を整備して軍隊の迅速な投入を可能にしたローマ帝国はヨーロッパから小アジア、北アフリカまでを支配する世界帝国となりました。「早馬」という言葉があるように、馬という人より速く走れる動物も情報の伝達速度を速めることに一役買っていました。郵便ははるか昔からあったのです。
 そして造船技術が発達して「大航海時代」が始まると、海運で手紙を運ぶ海外郵便が大英帝国の下で発達しました。19世紀前半になると「電信」が発明され、海底ケーブルが敷設されて海をまたいだ通信が数分でできるようになります。これらの通信手段の革新によって、大英帝国は世界中の植民地を維持・拡大していきました。
 このように、ある程度コストがかかってでも、「特定の相手に」「より速く」情報を伝えられるような情報伝達の「高速化」技術が生まれると、中央に情報を集め中央の命令を地方に届ける速度が速くなります。中央集権化が可能になり、ときの政権はより広い版図を支配することができるようになりました。

言葉と、活版印刷と、インターネット

 また、通信手段の革新は政治体制の変化ももたらしてきました。古代の王権は専制君主制が多く、ギリシャのアテネの民主制では(奴隷でない)市民たちは「アゴラ」に集まって口頭でコミュニケーションを取っていました。ローマの共和制は寡頭制・貴族共和制であり、その意思決定はパトリキが占める元老院が主導するものでした。ギリシャもローマも中央の都市で意思決定がなされ、そのコミュニケーションは「口頭」が基幹技術だったものと見られ、そのインターフェースは【広場】や【議会】でした。他都市や地方が意思決定に参加しないからこそ、市民が参加する民主政が可能でした。
 中世になると、地方の軍事政権がそれぞれの領地を支配しながら契約によって君主に臣従する封建制が成立します。国王は各地を移動しながら貴族たちとメッセージをやり取りするため、手紙を運ぶメッセンジャーを多用しました。国王が決定した法は手紙で教会などに届き、それを村々の広場で読み上げることで下々に伝達されました。この時点までのコミュニケーションは「手紙」を基幹技術としていて、それが人々に触れるインターフェースは文字が読める支配階級の【口頭】というものでした。
https://www.historyextra.com/period/medieval/a-brief-history-of-how-people-communicated-in-the-middle-ages/ そして、戦争から騎士が不要になるにつれ王権が中央集権化していきます。
 長らく口頭と手紙に頼ってきたコミュニケーションでは、民衆の政治参加は望むべくもありませんでした。それを変えたのが「活版印刷」という基幹技術です。同じ情報を大量に印刷できるようになったことでラテン語でない聖書が普及し宗教革命が起こります。16~17世紀にはインターフェースとして【新聞】が登場。識字率の制約はあるものの、政治議論に参加するのに必要な情報が官僚や貴族以外の市民層にも届くようになりました。そして18世紀にはアメリカ独立革命、フランス革命へと至り、議会制民主主義が広がりました。
 19世紀末に「無線通信」という基幹技術が発明されると、市民層への情報伝達はさらに高速なものになります。選挙では候補者の肉声を【ラジオ】というインターフェースでほぼリアルタイムで聞くことができるようになり、2度の世界大戦では電波による通信やレーダーが戦況を変えました。第二次大戦から戦後にかけて、無線通信で送られる情報のインターフェースとして【テレビ】が普及すると、選挙で候補者の姿を届けることができるようになり、化粧をしたケネディが大統領選を制しました。さらに、電信を音声として届ける【電話】で無線通信技術を使うことで、20世紀後半には【携帯電話】が登場します。
 電信と無線通信技術に加え、コンピューター=計算機技術が発達したことで、20世紀後半に「インターネット」という基幹技術が発明され、【パソコン】というインターフェースを介して20世紀末から21世紀初めにかけて普及していきます。インターネットは新聞やラジオ、テレビと異なり個人が発信者になることができる性質を持っており、ネット時代の選挙ではSNSを活用して有権者と交流を持った候補が勝利を掴むようになりました。
 このように、多人数に対して安価に情報を届ける「複製型」の情報伝達技術が発達すると、遠隔地にいても政治に参加することができる人数が増えることで、政体は民主主義に傾きます。その民主主義でのコミュニケーションのありよう、独裁政権であるならその国民コントロールのありようは、その当時の基幹技術で送られる情報に触れるための「インターフェース」によって変わってきます。

 インターネットという基幹技術は、最初は【パソコン】というインターフェースでブラウザで閲覧できるウェブサイトを中心に主にテキストでコミュニケーションをしていましたが、2000年代後半から【スマートフォン】やタブレット端末が普及するようになるとSNSのようなプラットフォームやアプリで、画像や動画、音声によるコミュニケーションが主軸になっていきました。この後に来ると思われるのが、【VR】そしてARというインターフェースです。
 既に触れた通り、これらのインターネットの普及によるコミュニケーション手段(インターフェース)の変化に、遅ればせながら気づいた者たちが、それを「メタバース」と呼ぶようになりました。「メタバース」でのコミュニケーションは、そのインターフェースがスマホだろうとVRデバイスだろうと、数人~十数人、せいぜい数千人という、小規模の場で起こるという特徴があります。
 政治的意思決定への影響で考えるなら、それまでの【新聞】や【テレビ】、さらには【パソコン】【スマートフォン】のインターネットと異なり、限られた人数で議論が濃縮されるという特徴を持っています。【VR】のコミュニケーションは対面での【口頭】に近しいところがあります。これは、「コーヒーショップ」や「サロン」が政治的議論の中心だった時代に似ていますし、しかし①誰もが参加でき②遠隔地の相手とも話せるという点が異なります。
 【スマートフォン】時代のコミュニケーションは、距離が離れていても思想の近い者同士がアルゴリズムの推奨により互いにコミュニケーションを取ることが多くなることで、タコツボ化、「エコーチェンバー現象」、「フラグメンテーション」が起こったと言われています。政治的に極端な議論が多くなり、その一方で地域を超えた全国的な政治アライアンスが生まれやすくなります。つまり、二極化します。
 【VR】時代のコミュニケーションでは少人数で「顔を合わせて」濃密にコミュニケーションを取るため、「思想の近い者同士」のタコツボ化、先鋭化、さらにはカルト化は懸念すべきところです。その一方で、意見や発信を数十万人以上の多くの人に伝えることが難しくなるため、考え方や思想がすぐには広まらない傾向が出るかもしれません。いわばタコツボが小さくなる状態。そうなると、多極化の傾向が出てくるかもしれません。
 また、「メタバース」の閉じたプライベートなコミュニケーションは、独裁政権にとっては監視が難しいという特徴を持ちます。【パソコン】がインターフェースのインターネットの時代は、誰もが不特定多数に発信していたため個人の情報発信を監視し検閲することが容易でした。しかしコミュニケーションのための「メタバース」を個別に大量に作られると、監視のコストは増大します。独裁政権がゲーム規制をやりたがるのも、プライベートなコミュニケーション空間というものが都合が悪いからかもしれません。
 ちなみに、「インターネット」は最後のコミュニケーション革新ではなく、この後の人類の歴史でまた大きな革新が起きることは大いにあり得ます。たとえばそう、Neuralink(https://neuralink.com/)が研究しているような脳神経との直接接続とか。

変わりゆく「私たち」の境界

 さらに長期的に見ると、「メタバース」が「住む」「暮らす」場所であるという事実が、これまで地理的制約に縛られてきた地域コミュニティに代わる「飛び石」のようなコミュニティの発達を促すことが予想されます。ここでいうコミュニティというのは単なるファンの集いやサークルやクラブを大きく超えて、「民族」や「宗教」といった伝統的な人間の「属性」に代わりうるものです。
 歴史的に、より遠くの人とコミュニケーションが取れるようになってより広い版図の国家が形成されてきたことは、部族や民族、宗教といった「私たち」の統合・融合と歩調を合わせてきました。各地で独自に信仰されていたアニミズムのシンボルをキリスト教は一つの大きな物語の中に取り込み、国家や民族の中で言語は統一され、そして「民族」が形成されてきました。
 インターネットが可能にした遠隔地とのコミュニケーションが、【VR】の世界では目の前で顔を合わせて話すくらいに自然なものになります。段違いの没入感を持つこの世界の中で、人々はその地域のコミュニティとは異なる独自の文化を形成し、他言語を覚えあるいは翻訳ソフトの力を借りてコミュニケーションを取り、そしてメタバースならではのemoteやemojiを使った独自の言語プロトコルを作り上げていきます。
 所属するコミュニティの変化は、やがてアイデンティティの変化に繋がります。VRにどっぷりと浸かって生きる者たちにとっては、地域の周りの人々は「彼ら」「彼女ら」になり、VR空間で一緒に遊ぶ人たちこそが「私たち」になるのです。
 国民国家を超越するのは地域連合でも多国籍企業でもなく、VR空間上に形成される飛び石のコミュニティになるかもしれません。衣食住の物理レイヤーの経済は既存の国家に拠りつつも、自己実現や精神文化といったデータのレイヤーの経済はVR空間の新たなコミュニティで培う。そんな時代が、おそらく既に始まっています。

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変わりゆく「価値」の在り処

 通信手段の革新と、それによって可能になる政治体制の変化は、人々の価値観をも変えてきました。何に価値があるか、誰が偉いか、何を追い求めるか、何が大切か。それが時代とともに変わってきたのです。
 近現代の社会では「お金」という富のバロメーターが「価値」の座に着いています。資産や年収が人間の価値の基準とされ、ワーカホリックたちは良い暮らしをするのに十分な額をはるかに上回る年収を追い求めます。けれど昔の時代は、もっと別のものが「価値」でした。
 原始時代は、想像するしかないものの、人間の「価値」は肉体にあって、大切に追い求めるのは糧食であったことでしょう。埴輪の形を見る限り、たぶん。
 そして原初の国家が生まれた頃。アゴラや民会で政治を行っていた時代は、国家の盛衰を分かつのは軍事力でした。古代中国の歴史は戦争の歴史であり、古代ギリシャでは重装歩兵として戦うから市民は力を持っていて、そしてペルシア戦争では無産市民が漕ぎ手として活躍したから彼らも政治に参加するようになりました。ローマはほぼ常に対外戦争を続けていて、当初は市民権と兵役義務はセットでした。
 時代下って封建制の時代は騎士の時代。手紙によって国王と騎士がコミュニケーションを取っていた頃は、「文字を読めること」に大きな価値がありました。前述の通り国王からの勅令を聖職者たちが読み上げたのは、識字率が低かったから。そして、ラテン語で聖書を読めるから、聖職者たちは権威を持ったのです。聖職者たちが力を持ったこの時代の価値観は宗教に強く影響されていて、薔薇の名前は空しく残り、十字軍遠征が連発されていました。貴族や騎士などが贖宥状を買い求め、十字軍遠征のために喜捨をして、そして十字軍から初期の金融システムが生まれたということは、金銭よりも宗教の方が価値として優越していたということを示します。
 その後「活版印刷」が出てくると、宗教の権威が揺るがされ、新教による新しい価値観が特にアメリカで広まります。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』です。アメリカ独立革命の後はいよいよ「金銭」に価値がある時代になりました。鉄道王や銀行家などが巨額の富を築いて「アメリカンドリーム」を体現します。銀行や金融の仕組みははるか古代からあったし、株式会社の仕組みも大航海時代の頃からあったけれど、そういった企業活動、経済、お金というものが最も価値あるものとみなされる社会になったのは、意外に最近のことだと思われます。日本でだって、この資本主義の価値観が黒船とともに到来するまでは、借金だらけだった武士の方が商人たちよりも強い価値を持っていたのです。
 「無線通信」が登場しラジオやテレビが普及すると、新聞を超えた「マスメディア」が「金銭」に代わる価値を持ち始めます。「芸能人」や「セレブ」といった「有名人」であることに価値がある時代。もちろんこの時代も「金銭」の価値は圧倒的に大きいものの、「有名人」という価値は金銭を積んでもそうそう買えないものになりました。「アメリカンドリーム」の時代は人々の憧れの的は企業家たちでしたが、無線通信の時代ではそこに「ハリウッドスター」が割り込んだのです。
 そして21世紀。「インターネット」全盛の時代。多対多のコミュニケーションが一般化した今の時代に、価値の座に着いているのは「未来」そして「先進性」です。まず、「マスメディア」の「有名人」の価値は急速に衰えつつあり、代わって【スマートフォン】から見られるSNSのフォロワー数、「知名度」、「注目」が価値を持つようになりました。「有名人」とどう違うかって?「有名人」はマスメディアが選ぶもので、SNSの「知名度」は利用者たちの選択の蓄積です。つまり、「有名」「名誉」という価値を決める権威がメディアからインターネットの個人たちに移った。
 そしてSNSのフォロワーに繋がる重要な要素が、「新しいもの」、「この先来るもの」です。マスメディアの時代は「流行」に乗ることがカッコいいとされていましたが、インターネットの時代はまだ見ぬ未来に繋がることがカッコいいという価値観です。
 「金銭」という価値も「未来」「先進性」を買いあさっています。イーロン・マスクは世界一のお金持ちになりましたが、これは彼のテスラがやっている事業が「未来」で「先進性」あるとされているからです。
 インターネットの時代の主役は新しいサービスを生み出し維持するエンジニアたちですが、彼らが大切にするオープンソースの文化は金銭と真っ向から対立します。成果を開放し広く分かち合ってともに未来を創っていく。しかも、それがシェアの獲得という形で合理的になり得る。この時代に優れたエンジニア、ひいては優れた人材たちは、金銭のみならず達成や自己実現を基準に働く場所を選びます。金銭的報酬が高額でなくともベンチャー企業で働くし、そのベンチャー企業がやがてGAFAと伍していく。

夢のその先で

 それでは「メタバース」が広がって、【VR】がコミュニケーションの場になっていくと、価値観にどう影響するでしょうか。【スマートフォン】も【VR】もインターネットのインターフェースであるため、「金銭」や「未来」という価値がすぐに転換するわけではありません。けれど、コミュニケーションの形が「多対多」から「複数対複数」へと小さく濃密に変わることで、何か影響があるはずです。
 今VRの世界で大切にされている価値は何か?「かわいさ」です。そして「一緒にいて楽しいこと」。
 目の前でバーチャルの姿で交流する世界では、【スマートフォン】の時代にあったような全世界的な「競争」が起こりにくくなります。その代わりに、今目の前にいる人と楽しく過ごすことが何よりも大切になります。「メタバース」に乗って仮想空間でコミュニケーションを取ろうという人たちがやって来た後で、この価値観がどれだけ残るかはわかりません。しかし、「一緒にいて楽しいこと」つまり「人柄」を大切にするという価値は、本来、対面でのコミュニケーションにこだわるような層が重要視する要素であるハズです。「メタバース」の性質を考えると、「一緒にいて楽しいこと」に価値を見出すことはおそらく自然なことですし、ここに価値を置く人が増えるなら、「金銭」に価値を置くよりはきっと楽しいことでしょう。
 折しも、「金銭」を価値とする世界観は暗礁に乗り上げて半世紀以上経っています。つまり、環境問題です。いよいよ肌に触れるほどに環境問題が激化する中、リアル世界で他の人に見せびらかすために顕示的消費(『有閑階級の理論 制度の進化に関する経済学的研究』)を行うという旧来の消費行動には無理が出てきました。いえ無理が出てきて半世紀以上が経ちました。特に欧米先進国ではリアルでの消費行動を縮小する必要がありますが、仮想空間で他者との関わりや自己実現を満足させることができるVRの世界が浸透すれば、これが実現されるかもしれません。
 まず移動が必要ない。Climate Watchのデータによれば、2020年の温室効果ガス排出量
に占める運送セクターの比率は16.2%。道路輸送だけ見ると11.9%で、その6割が人の輸送だったということです。 https://ourworldindata.org/emissions-by-sector 先進国の人々が家に籠って車を使うのをやめれば、この部分の温室効果ガス排出が激減することが期待できます。さらに、頻繁な衣類の買い替えや飽食的な飲食行動、装飾のための電力消費といった消費行動も、人類の多くが(プライベートタイムでは)引きこもるようになれば大きく削減されることが期待できます。
 VRで気候変動問題を解決です。
 「金銭」さらには「未来」よりも「かわいさ」の方が大切という価値観は、インターネットの世界に遅れて入ってきたような「メタバース」の後発組にとっては、理解しがたいものかもしれません。けれど分かってもらいましょう。彼らにこの新しい価値観に染まってもらった方が、地球環境にも優しいですし皆が楽しく遊べるでしょう。
 「メタバース」について調べ始めたことは、最初の一歩を踏み出すきっかけです。メタ社やそのライバルたちも、安価で高性能なヘッドセットを発売しています。さあさ怖がらず。頭にかぶって。「メタバース」は夢の技術なんかじゃないけれど、その先には夢のような世界が広がっています。

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