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【小説】Dearest...


作:沫雪

【自室】
 薄暗い深海から突然引き上げられたような、急激に意識をこちら側に引っ張り上げられたような感覚で目が覚めた。ぜいぜいと荒い呼吸と無機質に時を刻む秒針の音がやけに大きくて耳障りだ。掛け布団を蹴飛ばして起きた体は全身汗まみれで、寝巻のTシャツがべったりと張り付いていて気持ちが悪い。
 あぁ、まただ。境界線があいまいになって溶け出すような、輪郭が消えていくような感覚。
いつまでたってもこの感覚には慣れない。とてつもない疲労感と、これから起こるであろう出来事への不安だけが寝起きの僕の身体に重くのしかかった。机の上に置きっぱなしになっていたミネラルウォーターをひっつかんでカラカラに乾ききった喉を潤す。少しクリアになった視界に映ったのは見慣れた自分の部屋としわくちゃになって床に転がっているワイシャツ、中途半端に充電されたスマートフォン。もう一度ベッドに横になりたいがそうもいかない。気怠さを隠しもせずのそのそと這い出て活動を開始しようとすると、大きな姿見に映る自分と目が合った。
 憂鬱そうな、辛気臭い顔をしたその一人の男は、間違いなく僕だ。僕という、ひとりの人間。
 恐る恐る近づいて、ペタリと鏡に映る顔に触れてみる。
 「なあ、お前は一体、何者なんだ?」

【日常】
「おはよう、ジューダス…って、酷い顔だね」
 月曜2限、社会心理学の授業、後ろから2番目の窓側の席。慢性的な睡眠不足に苛まれている脳みそに薬物のごとくカフェインを注入している僕と、そんな僕の隣に座って話しかける男が一人。
「おはよう、ジェフリー。僕がこの授業でいい顔してたこと、今までにあったかい?」
「いや、記憶にないね」
 さらりと言ってのけた彼は、まあ原因は想像つくけどと言いながら僕のコーヒーを当然のように奪って飲み干した。
「で、昨日はどっちだった?」
「分からないけど多分あいつ。あんまり部屋とか   荒らされてなかったし、断言はできないけど。あ、そういえば失くしたと思ってたリングが机の上に置かれてあって。見つけてくれたのかも」
 へえ、よかったじゃんという至極どうでもよさそうな相打ちを聞きながら数時間前に出てきた部屋の様子を思い出す。今回はちゃんと部屋まで戻ってくれたようだし、きちんと鍵もかかっていた。几帳面で真面目なのだろうあいつの性格がうかがえる。
「明日確かカウンセリングだったよな、俺も一緒に行くよ。何か役に立てるかもしれないし」
 安心させるように握ってくれた手に指を絡ませながら呟いたありがとうの言葉は、出席を取る教授の声に混ざって消えていった。

【出会い】
 ジェフリーと初めて会ったのは入学式の夜、新入生歓迎会を兼ねたパーティーの席だった。
 歓迎会なんてのはただの名目で、実際は年齢性別不問の寮でのどんちゃん騒ぎ。追われるように座ったカウンターテーブルの端で、僕は今しがた始まったばかりの宴会からどう抜け出したものか頭を悩ませていた。無理やり引っ張ってきた自称クラスメートは会場のフロアについた途端僕を置いて人の波にのまれて消えてしまった。今頃アルコールと仲良くなっていることだろうし、便器とお友達にならないことを祈ることにして思考から追い出した、その時だった。
「隣、いいかな」
 男性にしては高めの声が空気を揺らした。振り向いて見えたのは、丸い目をゆるりと細めた細身の男。
「何か、用ですか」
 結局隣に腰を下ろした彼は、僕のつっけんどんな返事なんて微塵も気にしないどころか用がなければ声をかけちゃダメかいなんて言って笑って見せた。
「飲みの席でしかめっ面をして酒を握りしめてるのは君くらいでね。少し気になって。俺はジェフリー・クラフト。文学部だ」
 屈託のない人好きのする笑顔で彼―ジェフリー・クラフトは手を差し出したのだ。―僕に、向かって。
 その後のことはあまり覚えていない。大方世間話でもして、その流れで関係を持ったのだろう。一夜だけの、孤独と不安を埋めてくれるチープな関係。でも、その日ベッドの中で2人で交わした会話だけは鮮明に覚えている。
「君はどうしてここに来たのか」という彼の問いに、らしくもなくこう答えたのだ。
「悪魔から逃げるために」と。

【発端】
「自分がしているはずなのに覚えていない、ですか」
「はい。突然意識が飛んだようになって、そこから先のことは何も記憶が無いんです」
 大学1年、初夏。空調が効いた真っ白な部屋で僕は一人の男と対面していた。
 “身に覚えがないことが自分の行為として認識されている”
 “知らないうちに周囲の人間を傷付けている”
 そんな僕に学校が精神科の受診を強く勧めてきたのは至極当然のことだった。目の前に座っている精神科医、ルーカス・ハーバーは僕の言葉を聞き難しそうに眉間にしわを寄せたあと引き結ばれていた唇を開いた。
「その症状は、いつごろからですか?」
「ええと、大学生になってからです。ちょうど大学生活に慣れてきた頃からで…」
「なるほど。それより以前に同じような事はありませんでしたか?」
「それ以前、ですか?」
「ええ。例えばー」
 医者の目が、音もなくスッと細められた。
「ジューダス君、君が初めてここに診察に来たのは確か5年前―君が中学2年生の時でしたね?」
「そ、そうですけど、それとこれに一体何の関係が」
「その前後」
ルーカス医師は僕の言葉を遮り続けた。
「今回と同じような症状が出ませんでしたか?突然眠ったような感覚に陥る、記憶の中に何も思いだせない空白の時間がある、など」
 やけにハッキリと、まるで分かっているかのように告げられた言葉に誘われるがまま少し考える。忘れもしない、5年前のあの日_
「あ…」
「なにか、心当たりがあるようですね」
「はい。でも、あれ…あの時僕は…ええっと…」
「無理して思い出そうとしなくても大丈_」
『彼を護っていたんだ』
 俯いていた顔をあげると、ルーカス医師は目をこれでもかと言うほど大きく開けてこちらを見ていた。特段驚かすような事をしたつもりは無いのだが…
「ジューダス君」
 今までに無いほど深刻な顔をして、彼は告げた。
「今、なんと言いましたか?」
「今?えぇ、確か先生からの質問に答えようとして、それから…あれ?それから、僕は…」
 その瞬間、グンっと意識を引っ張られたような感覚に陥った。目の前の医者の顔がぼやけて、ゆっくりと視界がブラックアウトしていく。
『彼を護っていた、と言ったんだ。ルーカス医師』
「君は_」
『ここからは、私が君の相手をしよう、ルーカス・ハーバー』

【対面】
 ピンと張り詰めた空気が漂う中、目の前の男は1つ大きく息を吐いた後静かに話し始めた。
『まずは自己紹介を。この姿で会うのは初めてだから初めまして、というのが正解なのだろうね。私はエドワード。君は彼のかかりつけ医、であっているかい?』
「…ええ。初めまして。精神科医のルーカス・ハーバーです」
  互いに相手を見定めるような、品定めするような目線を交わしながら挨拶を済ませる。
先に動いたのはエドワードの方だった。
『そんなに警戒しないでくれ。君にとって私の存在はそこまで衝撃的でもないだろうに。』
ふわり、と人好きのする笑みを浮かべた後、彼は続けた。
『彼の中に“だれかいる”事、君は気づいていたんだろう?』
  まるでこちらを試すような言い方ではあるが、不思議と嫌悪感は無い。真っ直ぐにこちらを見つめる眼差しは、彼_ジューダス・ナイチンゲールにそっくりだった。
「…えぇ。症状を聞いた時に、彼のような壮絶な生い立ちを踏まえるとあるいは、とは予測していました。 まさかこんな形で確かめる事になるとは思いませんでしたが」
『私だってこんな形で君に会うことになろうとは思ってもみなかったさ。しかし仕方がないだろう?君の質問に、彼は答えられないのだから』
 昔話をしよう、という彼の顔は笑っているのに泣いているようだった。

【願い】
 私の主、ジューダス・ナイチンゲールは孤独だった。
 天涯孤独の身なわけでも、友人がいなかったわけでもない。しかし、彼は孤独だった。私はずっと、そんな彼を見ていた。彼の身体を通して、見ていたんだ。
 そんな彼には一つの目標があった。“立派な跡継ぎになること”。それが両親の願いだと分かっていたし、自分の存在意義だと思っていた。
 彼はそれを叶えるために努力を重ねた。それはもう、血のにじむようなね。だが、彼の両親は、それを認めてはくれなかった。父親は出来て当たり前だと言って至らない点ばかりを責め、母親は“お父さんの子なのにどうしてできないんだ”と非難した。
 彼は努力して努力して、それに応えようとした。応えて、ただ一言「さすがだ」と褒めてもらいたくて必死だった。その結果、彼は壊れてしまった。幼少期からの過度なプレッシャーに耐えられなかったんだ。
 そうして生み出されたのが私たち他人格だ。彼が自分の身を、心を守るために切り離した彼の一部分。感情の、一端。
 もとは彼と共に幸せな人生を送れたと知って、どうして彼の平穏を願わずにいられようか。
「―彼も、それは同じだと思っていたのだけれどね」
 ぽつりとこぼした言葉を精神科医は聞き逃しはしなかった。目が「彼とは何者だ」と問うている。目は口程に物を言うというやつか。
「言っただろう、私“たち”と。私のほかにいるんだ。もう一人、分身がね」

【もう1人】
 目の前に、一人の少年がうずくまっている。ぼくと同じくらいの背丈の、幼い男の子。そんな彼に向けられる、心無い言葉たち。
「どうしてこんな事も出来ないんだ」
「あなたはお父さんの子なのよ、恥をかかせないでちょうだい」
「あなた、ナイチンゲール先生の息子さんなんですってね」
震えて縮こまっている彼の耳を、後ろからそっと塞ぐ。
〖もう、聞かなくていいよ〗
 抱きしめるようにしながら、彼の耳に言葉を流し込む。大丈夫。ぼくがいるよ。だからもう、大丈夫。
「ダメだ。頑張らなきゃ、出来るようにならなきゃ、そうじゃないと僕は、僕は…」
 ぼくを跳ね除けるように立ち上がった彼は、とりつかれたようにその言葉を口にする。あぁ、なんて憐れなんだろう。
〖ねえ、君が望むもの、ぼくならあげられるよ〗
 後ろから抱きしめていたのを回り込んで、顎に手を添える。ゆっくりと視線を合わせるように正面から顔を見上げて、額を合わせた。
〖きみのことを分からない人の言う事なんて聞かなくていいよ〗
―きみを理解してあげられるのも、愛してあげられるのも、ぼくだけなんだから。
 そう、ぼくだけ。この子に必要なのはぼく。それ以外のものなんて、望んじゃいない。
〖あんただってそう思うよね?エドワード〗
 振り向いた視線の先。こちらを見て『フォリエ、』と口を開く彼の首にそっと手を添えてゆっくりと力を込めた。

【消滅】
「人格が消えている?」
 カウンセリング、と称された定期健診で医者から告げられたのはにわかには信じがたいものだった。
「えぇ。ジューダス君の中には二人の人格、エドワードとフォリエが存在していたはず。しかし今日のカウンセリングで会話が出来たのはフォリエだけだったのです。彼によれば、エドワードは“消えた”と」
 何が原因かは彼も知らないようでしたと告げるルーカス医師の表情は冷静で感情が読めない。しかし、と隣に座るジェフリーと顔を見合わせる。人格が消えているということは、即ちー
「それは、ジューダスの症状が回復に向かっているということでしょうか?」
 少し緊張したように唇を震わせてジェフリーが聞く。当事者は僕なのにまるで自分のことのように真剣な彼の横顔を眺めながら、出されていたハーブティーを啜る。
「状況としてはよい方に進んでいると言えるでしょう。消失の原因が分からない以上は手放しで喜ぶことは出来ませんが」
 隠しきれない嬉しさを滲ませてそうですかと返事をしたジェフリーは僕に向きなおって良かったなと呟いた。曖昧に返事をしながらもう一度ティーカップに口をつける。甘いともスッキリしているともとれる独特の風味が、胸で溶けて広がっていくようだった。

【異変】
 最初は些細なものだった。不在着信が数件入っているだとか、その程度のもの。だから部屋のドアノブに見慣れない手提げ袋がかかっているのにも、クラスメイトに貸していた雑誌だろうくらいにしか思っていなかったのだ。
 少し不格好な字で“ジェフリー・クラフト様”と書かれたメッセージカードと、その中身を見るまでは。
 「…なんで、どうしてこれが…?」
 錆びて色あせているそれはお世辞にも綺麗とは言えない。もとの姿からかけ離れているため自分の記憶を疑ったが、間違えるはずもない。これは去年の秋、ジューダスと付き合った記念に揃いで購入した指輪だった。確か彼は1度この指輪を失くしてしまっている。それが机の上に置かれていたと話していたのはほんの数か月前ではなかったか。昨日だって彼の指には自分と同じ位置に同じものがはまっていたはずだ。
 ―まさか、ジューダスが?そんなわけがない。彼が自分のことを必要としてくれているのは自分がよく知っている。それはもう、依存と言って良いほどに。しかしだとしたら誰が?ジューダスの私物、それも一等大事にしているものを盗んでここまでボロボロに出来る人物なんて…一人しかいない。
「さすがにこれは笑えないな…」
 メッセージカードの裏側、わざわざ赤いインクで書かれた文字を見つめてため息をつく。
“明日16時 ジューダス・ナイチンゲールの私室”
「いいさ、受けて立ってやる」

【指輪の意味】
 ジェフリーを部屋に招いて早々に突き出された袋を目の前に、僕は困惑するしか無かった。彼は何も言わずに僕を見つめるばかりで一体どういうつもりなのかこれっぽっちも理解できない。しかしこれまでにないほど真剣な顔をしているジェフリーを見てとりあえず入りなよと声をかけた。
こんな玄関先で見ていいものではない代物だと、直観にも似た予感がした。これは、彼にとっても自分にとっても重要でとても大切なものだと。
 二人分のコーヒーを用意して彼の前に座り、一つ深呼吸をして向き合う。開けるよと言った声は情けないほどにか細く震えていた。すっかり冷たくなった指を無理やり動かして袋から中身を取り出す。わざわざ透明のフィルムで包まれた内容物は、僕を動揺させるには十分すぎるものだった。
「ジェフリー、これ…」
「君のだよ。昨日俺の部屋のドアノブにぶら下がってた。これがどういう意味か、君なら分かるだろう?ジューダス」
 絶対零度の、拒否を許さない瞳が僕を射抜いた。全身が凍り付いたかのように動かなくて、息が苦しい。こんなことした覚えもないし自分に出来るわけがない。こんな、別れをほのめかすような真似。
「お前の言う通りに部屋まで来たんだ。その挑発、乗ってやるよ。フォリエ」
 意識を失う直前、最後に見えたジェフリーの顔には影が落ちていて、結局何を考えているのか分からないままだった。

【愛情・欲望・エゴイズム】
 「やだなぁ、挑発だなんて。ぼくはただ君とお話ししたいだけなのに」
 目の前に座る男―否、今は少年というべきだろう人物はニコリとわざとらしい笑みを張り付けた顔で俺を見つめた。
「奇遇だね。ちょうど俺も君と話したいことがたくさんあるんだ。しっかり“お話し”するとしようか」
「…へぇ。ぼくの喉が渇かないうちにお願いしたいな。ぼく、コーヒー飲めないから」
 時計の秒針のみが響く緊張感漂う沈黙。お互いに笑顔の皮を被りながら内面は相手の思惑を見透かしてやろうと神経を張り巡らせている。先手を取るか、相手の出方を待つか。先手を取ったのは自分の方だった。
「まずは俺から一つ質問を。今までの不在着信やその他のいたずらは君の仕業で間違いないかい?」
「そうだよ。全部ぼくがやったんだ。せっかくあいつを消したのに、君がいたんじゃ意味ないからね。」
「あいつ…もう一人の人格か。確かエドワード、といったかな」
「あの子に必要なのはあいつでも君でもない、ぼくなんだ。それ以外のものなんていらないんだよ」
 だからさ、と彼は一層笑みを深めてこちらに身を乗り出した。
「はやく別れてよ。」
「嫌だと、言ったら?」
「その時はー」
 不意に立ち上がった少年の手にはどこから取り出したのかカッターナイフが握りしめられていた。
「力ずくで引き離すまでだよ」

【ぼくはただ】
「そんな玩具みたいな刃物で俺を殺すつもりかい?」
わざわざ相手を逆撫でするような言葉を選びながら口にする。おそらくこうなるであろうことを想像していたからか、それとも。
 「ッ余裕な顔出来るのも今のうちだよ。どうせぼくには人殺しなんてできないって思ってるんだろうけど…あの子の為なら、ぼくはなんだってするさ。殺人鬼にだってなってやる」
 言いながらじりじりと近付いて、ついには俺の目の前に立つ。それでも何の反応も示さない俺に痺れを切らしたのだろう、振りかぶったその両手を掴みカッターを奪って放り投げた。
 「こんなに震えた手で殺人鬼だって?笑わせるね。殺す度胸もないのに、その理由にジューダスを使うなよ」
 「なんだよそれ、度胸がないだって?じゃあぼくがエドワードを消したのはなんだっていうんだよ?!」
 「人格という不確かな存在だから出来たんだろうな。忘れようとしているだけでその時だってお前には殺人を犯すという覚悟は無かったはずだ」
 「ッーう、うるさいな!!ぼくはあの子を愛しているんだ!あの子の幸せの為ならなんだってする!それが人殺しだろうと何だろうと!!」
 「そんな半端な覚悟で、それが本当にジューダスの為だと思っているのか?!!!」
 掴まれていた胸倉をつかみ返して言う。そんなの覚悟でも何でもない。自分の弱さを認められずにその責任をジューダスに押し付けているだけだ。愛だなんて、認めない。
 「そんなの、分からないよ!!ぼくはあの子を愛して、愛されるために生まれてきたんだ!覚悟だとか、責任だとか、そんなの分からない。ぼくはただ!」
 「―ぼくはただ、彼に愛されたかった。あの子に愛されて、彼を愛したかっただけなんだ」
 最後の言葉は今まで大声で反抗してきた彼とは思えないほど弱々しく小さなものだった。
 「ほんとは誰も傷つけたくなかった。あの子がそれを望まないから。でも、どれだけあの子が周りの期待に応えたって、優しくあろうとしたって、あの子が愛されることは無かった。だったらそんな奴いなくなればいい。誰もいないならぼくがあの子の理解者になって愛してあげればいい。あの子の愛されたいって願いを、そう願って作られたぼくが叶えてあげればいい。それ以外に、何が出来たっていうんだよ?!!!」
 「―その気持ちを、その想いを、直接ジューダスに伝えればいい。言葉にして、直接伝えるんだ」
 予想外だったのだろうその言葉に、涙にぬれたその瞳は大きく見開かれていた。両頬を掴んでしっかりと目を合わせて伝える。俺だって、本気で彼のことを愛していると分かってもらうために何度口にして、目を合わせて、愛の言葉を伝えたことか。
 「ジューダスがお前を認められないのは、排除しようとするのは、その愛情が伝わっていないからだ。お前のことを、自分の邪魔をする存在だと感じているからだ。本当にあいつのことを愛しているのなら、他の何より大事に思うなら、言葉にして伝えろ」
「いくら親しくたって、相手に恋焦がれていたって、長い時間を共にしていたって、感情や愛情なんて、伝えないと分からないものなんだよ」

【愛するということ】
 ただ広い、白い空間にあの子と二人きり。背を向けているあの子の名前を、初めて口にした。
 「―ジューダス」
 振り向いたあの子はとても驚いた顔をして、ぼくを見つめた。戸惑っていて、それでいて真っすぐな目。ぼくが、まもりたいと、誰よりも愛すると誓った目。
「今日はね、きみに言いたいことがあるんだ。聞いてくれる?」
 恐る恐る、でもしっかりと頷いたのを確認して震える口を開く。どうか、伝わりますように。
「ぼくはね、今まで君の気を引こうと、どうにかして愛してもらおうと、君を愛そうとたくさんいたずらをしてきたんだ。世間的にはけして許されないだろうことも、ね」
 君の恋人に意地悪をしたり、もう一人の人格を消したのだってぼくだよ。
 そう言うと、今までに見たことのないくらい怒った顔でぼくに近づいて首を掴んでいった。あの指輪はお前の仕業か、と。
「―うん、そう。ぼくの仕業だ。だけどね」
 ギリギリと締め上げられるくびが苦しい。だけど、伝えなきゃ。そのためにあいつが、この子の恋人がぼくにくれた時間なんだから。
「ぜんぶ全部、きみの為なんだ。理解してくれなくてもいい。ぼくを憎んでもいい。それでもぼくは、きみの為に動いていた。きみを誰よりも愛していたから」
 ハッとしとように目を見開いたあの子の耳に少しでも届くように。そっとその頬に、輪郭に、耳に触れながら言葉をつむぐ。
「誰よりも他人の希望に応えようとした君に、周りは心無い言葉しか返さなかった。愛されたいと、自分を見て愛してほしいという想いから生まれたぼくにはそれが耐えられなかった。周りが愛さないならぼくが愛してあげる。きみが周囲に望んだものをぼくが与えてあげる。この世界の誰よりもきみを愛して君に愛されたいと望んでいるのはぼくだったから」
 でも、それもぼくが想っていただけできみには伝わっていなかった。結局ぼくも他と同じようにきみを傷付けていたんだね、ごめんね。その言葉は果たして届いているだろうか。うつむいてしまったあの子の表情はちっともわからない。
「―あの時、僕のそばにいてくれたのは、君だったのか」
 泣きながら、それでもぼくのくびに添えた手を離すことはなくあの子は呟いた。消えそうな声で、涙で震えた声で、“ありがとう”と。
「僕を愛してくれた君を、僕は忘れないよ。フォリエ」
 ようやく顔を上げてくれたあの子の表情は、ぼくがずっと見たかったきれいな笑顔だった。その言葉だけで、全て報われた気がした。
「覚えていて。あいつの他にも、きみのこと想ってた者がいたこと」
  消えゆく身体で、それでも伝えたい気持ち。
 愛してるよ、ジューダス

【自室】
 薄暗い深海から突然引き上げられたような、急激に意識をこちら側に引っ張り上げられたような感覚で目が覚めた。以前なら激しい息切れに呼吸を奪われていたのに、今日はなぜか息は整っていて、そして隣には恋人のジェフリーの姿。
「おはよう、ジューダス。気分はどうだい?」
 そういって目にかかった僕の前髪を梳いている彼の顔も、いつもより穏やかでつきものが落ちたようにすっきりしているような気がする。
「ん…どうしてこんなことになっているのか、相変わらず思い出せないけれどー」
 さっきまで居たはずの、夢とも現実ともつかない不可思議な場所。そこで交わしたはずの会話。相手は誰だった?何を話していた?細かいことは何一つ思い出せない。だけど。
「何かとても大切で、僕にとって大事なことを言われた気がするんだ。不思議だね、覚えていないのに、胸が温かいんだ」
 僕の支離滅裂な返答に、ジェフリーはそうかと笑いながら左手の薬指に綺麗なおそろいの指輪をはめて口づけを落とした。

Fin.

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