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我が心のレジェンドたち vol.3
リングに叫び、拳を突き上げたあの日。今もこの胸に燃えさかる熱き炎のファイターたちをイラストとエッセイで綴るプロレス讃歌!
我が心のレジェンドたち vol.3
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全国のプロレスファンの皆様こんばんは。『週刊アイアンクロー』編集長のチャーシュー・タケです。今週は“人間風車”ビル・ロビンソンです。
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●外人レスラー善玉ヒーロー第一号! ~本物のテクニックをあなたが教えてくれた~
“外人レスラーはヒール”というのが定番であった時代に、突如現れた紳士的テクニシャンがビル・ロビンソンでした。国際プロレスが招聘した外人レスラーで、ある試合でタッグを組んだ味方の選手の反側三昧のファイトぶりに嫌気がさし、露骨にタッチを拒むなどして仲たがいをするのです。この試合をテレビ観戦していた私を含め、多くのファンが拍手喝采で迎えたのでした。それまで、力任せの荒技に慣れていた日本の観客の前で、ビル・ロビンソンは全く異質なものを見せてくれたのです。美しいブリッジを駆使した返し技や、ピンポイントでダメージを与える関節技。計算されたひとつひとつの玄人好みの技のオンパレードに、一瞬にしてトリコになったのでした。そして、極めつきは「人間風車」ことダブルアーム・スープレックスです! いや~、それはそれは美しかった!
ロビンソンの名勝負をひとつ選ぶとしたら、やはり、猪木との一戦か。1975年12月11日の蔵前国技館。確かこの日は木曜で、翌日の「ワールドプロレスリング」で録画中継された。まだ、インターネットなど無い時代。東スポを読まず、勝敗をシャットダウンして、疑似リアル観戦をした思い出が甦る。
◼️『プロレスダイアリー甦える鉄の爪』は毎週木曜日に更新します。
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