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~清く正しきプリンスたち~ vol.3

リングに叫び、拳を突き上げたあの日。今もこの胸に燃えさかる熱き炎のファイターたちをイラストとエッセイで綴るプロレス讃歌!


~清く正しきプリンスたち~ vol.3

全国のプロレスファンの皆様こんばんは。『週刊アイアンクロー』編集長のチャーシュー・タケです。今週は“テキサスの若馬”ドリー・ファンク・ジュニアです。

イラスト 志賀コージ

●まわれ回れスピニング・トー・ホールド! ~正統派NWA王座を継承した男~

アメリカの多くのレスラーがそうであったように、ドリー・ファンク・ジュニアも大学時代には著名なフットボール選手でした。父親のドリー・ファンク・シニアの英才教育によって卒業後にプロレスラーとなりました。驚くべきことに、デビューから半年後には、あの“鉄人”ルー・テーズの持つNWA世界タイトルに果敢に挑み、フルタイムの引き分けという好ファイトを演じて一躍その名を全米中に知らしめたのです。父親を含むプロモーターたちの思惑もあったのでしょう、瞬く間にトップレスラーへと躍り出たドリーは、デビューから6年後の1969年に、あのジン・キニスキーを破って​NWA世界ヘビー級王者となりました。28歳になったばかりの若き新王者でした。そのタイトル奪取の時の映像は、日本のプロレス放送でも取り上げられ、驚きをもって迎えられました。私もその放送をリアルタイムで観ましたね。
初来日は、新NWAチャンピオンとなってすぐの1969年の暮れ。父親の庇護のもと、何とかチャンピオンで頑張っています、という感じで、線の細い優男でしたが、猪木、馬場との初対決ではベルトをしっかりと守り抜き、「さすがにNWAチャンピオン!」と、私も密かに彼の隠れファンとなっていったのです。竹田和夫のあの「スピニング・トー・ホールド」が入場曲として流れる8年前の話です。
ドリーの代名詞の技といえば、そのスピニング・トー・ホールドです。ジン・キニスキーから王座を奪った時に初めてこの技を観たのですが、友人に何度掛けても一向に決まらない難解な技でしたね。そのうちに回っている自分の方がクラクラしてきて気分が悪くなった想い出があります(笑)。

◼️『プロレスダイアリー甦える鉄の爪』は毎週木曜日に更新します。

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