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~清く正しきプリンスたち~ vol.4

リングに叫び、拳を突き上げたあの日。今もこの胸に燃えさかる熱き炎のファイターたちをイラストとエッセイで綴るプロレス讃歌!


~清く正しきプリンスたち~ vol.4

全国のプロレスファンの皆様こんばんは。『週刊アイアンクロー』編集長のチャーシュー・タケです。今週は“テキサスの荒馬”テリー・ファンクです。

イラスト 志賀コージ

●初の兄弟NWA王者はテキサスの暴れん坊将軍 ~アメリカではヒールでした~

兄のドリー同様に、こちらも大学にてフットボール選手として活躍し、卒業後にプロレスラーとしてデビューしました。兄とのタッグチーム「ザ・ファンクス」を結成し、いくつものベルトを獲得し、そのキャリアを着実に伸ばすと、1975年にはジャック・ブリスコを破ってNWA世界ヘビー級王者となります。ドリーに続いて、初の“兄弟NWA王者”となったのです。テリーのタイトル保持期間は兄よりは短くて1年ちょっとではありましたが、その偉業のインパクトは絶大でした。ちなみに、兄弟ともにその王座を奪われたのが、ハーリー・レイスでした。
その後、全日本プロレスの「世界オープンタッグ選手権」に兄とのコンビで参戦すると、ブッチャー&ザ・シークの極悪コンビと血で血を洗う大抗争を繰り広げます。これはもう現代では絶対にTV放送出来ないレベルです! この頃より、日本におけるテリーの“ベビーフェイス”ぶりが熱狂的支持を得ます。兄との「ザ・ファンクス」は全日本プロレスにおける金看板となりました。一方で、アメリカに帰ると“荒馬”の名の通りの“ヒール”として大活躍するのです。冷静沈着な兄ドリーとは好対照な、やんちゃな弟テリー。日本のプロレス黎明期のシャープ兄弟を嚆矢として、プロレス史における兄弟タッグの系譜は輝かしいものがありますが、兄弟ともにNWAチャンピオンになったというこの栄誉は後世に語り継がれるでしょうね。さて、テリーの名場面といえば、前述のブッチャー&ザ・シーク戦が一番に挙げられるが、忘れがたい隠れた名シーンとして書いておきたいのが、ニック・ボックウインクルからジャンボ鶴田が王座を奪取した1984年2月のAWA世界戦。そう、レフェリーはテリーでしたね。だから何だと言われてしまえばそれまでですが、何故だか脳裏から離れません。

◼️『プロレスダイアリー甦える鉄の爪』は毎週木曜日に更新します。

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