【 ご先祖さまとか お盆とか 】
世の中はお盆休みに入ったようですね。
東京都を中心に 関東では 7月がお盆のエリアもありますが、全国的には8月がお盆のところが多いでしょう。
ということは、この週末にお墓のお掃除に行くよって方も多いかも知れませんね。
お盆は、ご先祖さまたちが 帰ってきてくれる。
父方の家でも母方の家でも、日頃から ご先祖さまとか お仏壇とか お寺とか いうものが、とっても身近なものとして 当たり前にそこにありました。
なので お盆は ご先祖さまはもちろん、それぞれが本家だったので 親戚の人たちも集まって、それは賑やかでした。
親戚の誰かが話す お決まりのエピソードも、誰かが あらたに逝けば その人の話題も。
どれも ちょっと面倒くさいけど、ほっとする時間でした。
そんなエピソードの中でしか知らないご先祖さまたちのことだって、あんまり遠くに感じたことは無くて、盛りまくったイメージと共に 私の中に 確かに存在しています。
戸籍上は亡くなっているし、触れたり話したりは 出来ないけれど、ちょっとズレてる違う世界で ちゃんと生きてる… そんなイメージ。
亡くなって終わり、というよりは、いわゆる あの世で 日々を生きている みたいな。
だからこそ、ちゃんと繋がっているし。
そうして あの世で幸せに生きてる魂たちは、その幸せを 私たちに注ぎ続けてくれている。見守ってくれているんだなぁ。ありがとう。
なぁーんて 思っていました。
いえ、今も なんの根拠も無いですが、そう信じています。
小学校にあがる頃、父方の祖父母の家に住むことになりました。
築100年近いというその家には でっかいお仏壇がありました。
朝起きたら「おはようございます」
朝ごはんの前に「いただきます」
出掛ける前に「行ってきます」
帰ってきたら「ただいま帰りました」
おやつの前、夜ご飯の前に「いただきます」
夜眠る前に「おやすみなさい、今日もありがとうございました」
そんな風に 日に何度も何度もお仏壇に手を合わせていました。
今も変わらず私はもちろん、甥っ子や姪っ子も同じように続けてくれています。(特に信仰心が厚いとかではありません)
仏間の遺影たちや過去帳やお位牌などなどに囲まれて、お仏壇の前に座るとき 「あ 今日は〇〇さんの命日か」とか「〇〇さん 優しそうね」とか思ったり、なにか不安なときは お願いごとをしたり、嬉しかったときは 報告したり そんなことを当たり前に思っていました。
強く強制された覚えは無いので、大人たちの真似をしている間に 習慣になったのかも知れません。
お墓も通学路の途中にあったので ふらっとお参りに行ったりしていたっけなぁ。
だからか、手を合わせると繋がれるような気がするんですよね。
いつもいつも 繋がっているような気がする。
大人になってからは、それがとても深い安心感をくれるようにも感じています。
私にとっては 八百万のかみさまたちと同じで、ご先祖さまは いつでも私にギフトを与えてくれている存在なのです。
里帰りなさるご先祖さまたちは きっとそれぞれ、帰りたい場所 行きたい場所を目指されるのでしょう。
せめて 縁の深い魂をもつご先祖さまや いきものには、どうか私のところにも 寄り道していってくれないかなぁ。
そしたらなにか サインを残してくれないかしら?
私の方からも、逢いたいいのちに 声を掛け、耳を澄ませておこう。
みなさん お帰りなさい。
おかげさまで 私は 毎日 元気です。
ま、知ってると思うけどっ!