正座は「正しく座る」と書くのに、実は間違った座り方って本当??
一週間ほど前から、膝の調子が悪い。
もっと前から時々違和感を感じてはいたのだけれど、それまでは時間の経過とともに回復していたので、さほど気にすることなく過ごしていた、のだけれど、
今回はいつもと違う。
階段を上るとき鈍痛が出始めたのだ。
そのことを友人に話したところ、
「いよいよまるおさんも老化が始まったんじゃない?」
ニヤニヤしながら、整形外科へ行くことを勧められた。
アラフィフで明らかに運動不足な私。
日々テレビなどで「膝の痛みには~」みたいなCMが流れているが、いざ自分に膝の痛みが出始めると、そんなCMがやたらと目につく。
軟骨のすり減り?
筋力の低下?
いや、もしかしたらもっと大変なことになっているのかもしれない・・・考えれば考えるほど不安になっていく。
人間というのは脆いものだ。
何か不安を抱えていると弱気になり、仕事やら何やらが手につかなくなってしまう。このままではいけない。
「よし!明日、整形外科へ行こう」
駅近くにある「整形外科」に行くことを決意し、私は不安な夜を過ごした。
翌朝、診察開始時間の20分ほど前に整形外科クリニックに到着した。実は、私がその整形外科に来るのは今回で三度目。
最初は首。
二度目は腰。
そして今回は膝。
たまたまなのか必然なのか、患部が体の上から下へ降りてきている。
この整形外科クリニックはとても評判がいい。
「少しでも少ない回数で、そして出来る限り薬や湿布などは出さないで治るようにする」のが先生の診療方針らしく、基本的に診察は一回で終わり、ほとんどの場合、薬や湿布などは処方されない。
実際、私の首と腰についてもそれぞれ一回の診察で終わっているし、診察時に教えてもらった運動やストレッチを続けることでその後全快している。一回でも多く通わせ、処方薬もどんどん出して利益を得ようとする医者も少なくないなか、とても良心的な先生だと思う。
最初に、痛みのある左膝のレントゲンを撮り、その画像を先生が確認したのち診察が始まった───
「骨はとてもキレイですね」
・・・骨は?
ということは別のどこかは問題があるということなのだろうか?不安な時は何を聞いても不安が増してくる。
「では、足を伸ばしてみて下さい」
椅子に座っていた私が左足をピンと伸ばすと、先生は私の左膝を触診した。
「次は逆の足を」
私は左足を戻し、右足を伸ばした。
「具体的にはどんな時に痛みますか?」
先生の問いに対して、
「普通に歩いている時には痛みも違和感もほぼありませんが、階段を上がる時に微妙に痛みます。そして・・・」
「正座がしにくいです」
私はそう答えた。
「正座って言葉、調べたことありますか?」
「・・・正座?」
先生からの唐突なその問いかけに、戸惑いながらも私は答えた。
「いえ、ありません」
諸説あるのですが、という前置きのあとで先生がこんな話をしてくれた───
正座は江戸時代、徳川家光の代から始められたという。その理由は、謀反に対する防衛のため。「忠臣蔵」のように江戸城内では刃傷沙汰が起こることがあったが、将軍に謁見する大名や家臣たちが長い時間正座をすることで足がしびれ、刀が抜きづらく、機敏な動作に支障をきたすのである。
そののち、明治になって正座がマナーとして庶民に定着していくのだけれど───
「正座というのは、膝にとっては最悪な座り方なんです」
長い時間にわたる正座を繰り返すことで、膝の関節が炎症を起こし、軟骨を痛め、関節液が貯留したり膝関節症を起こしたりすることもある。それに、神経が痛んだり、筋肉が弱まったり、血行やリンパ液が滞ったりしてむくみや運動障害を起こす。
さらには、正座によって足に行く血流が少なくなるため、その分、脳に血液が流れ込む。すると脳の血液に負担がかかるため高血圧の人にとってとても危険なのだ、と。
座る時の「正しいマナー」として、当たり前のように正座をしているけれど、医学的な視点で見ることで、そこには全く違う景色が見えてくる。
先生の話はとても理にかなっていて、その内容はとても興味深かった。
結局、私の左膝は「運動不足による関節の動かし不足」が原因だった。若干水が溜まっているけれど、それは「あるストレッチ」を続けることで周辺に吸収され、痛みや違和感も解消されるでしょう、とのこと。
もし万が一それで治らないようであれば「治らないじゃないか!」と言ってきて下さい、と先生はイタズラな笑みを私に向けた。自信があるのだ。
私もまた「しばらくすれば治るだろう」と思った。過去二回の診察でもそうだったから。
そして今回も、薬はもちろん湿布も出ることはなく、膝や足腰を健康に保ち続けるためのストレッチを教えてもらったのだけれど、先生のその治療方針に私は改めて、老子のこんな言葉を思い出していた。
「魚を与えるのではなく釣り方を教えよ」
「飢えている人がいるときに、魚を与えるか、魚の釣り方を教えるか」 という状況において「人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣り方を教えれば一生食べていける」という考え方である。
先生が患者に対して行っているのはまさにこれ。
「その場だけ痛みが治まる薬や湿布を与えるのではなく、今後その痛みが出なくなるための方法を教える」のだ。
医者や病院にとっては、一回でも多く通院させることで、より多くのお金が入る。その場しのぎの薬や対症療法である。残念ながら、医者の中にはそういう人もいるだろう。
しかし、整形外科の先生は、出来る限り再来院しなくていいような処置(今回のストレッチのように)を施してくれる。
ほとんどの患者が再来院しないとなると、患者はどんどん減っていきそうなものだが、逆だ。この整形外科には毎日患者がひっきりなしに訪れている。先生を頼って遠方から診察に訪れる人も多いと聞く。
ただ、原則として予約は受け付けていないため、場合によっては2~3時間待たされることもあるらしい。それほど人気のクリニックが、なぜ予約を受け付けていないのか?
それは患者によって診察や治療にかかる時間が違うため、時間で区切ることでそれぞれの患者にきちんと向き合えないことを先生がよしとしないからだ。
人として、そして医者として、正しく誠実に生きるというのは、こういうことなのだと思う。
正座についての話の最後に、先生はこんなことも言っていた。
足腰を悪くして動けなくなったり、歩けなくなっている老人が多いが、もし若い頃から正しい運動や身体の動かし方がわかっていたら、そんな風にはなっていなかったかもしれない───
整形外科医の立場から、正座という誤った座り方によって膝がボロボロになってしまった人を多く診てきたことで、先生にはやりきれなさがあるのかもしれない、そんな風に思った。
一般的に「正座」は日本人にとっての「正しい礼儀作法」として広く教えられてきた。しかし、その正座によって膝を痛め、歩けなくなってしまった人もいる。しかし、そのことで国はもちろん、誰も責任は取らない。
一昔前は、学校の部活でうさぎ跳びをさせられたり、真夏の炎天下での激しい運動だけでなく、水を飲むことを許されなかったりした時代がある。今では考えられないことが、昔は正しいこと、正義だと教えられた。
「正座」をするというマナーも、そうしたことの一つなのかもしれない。
家に帰って、私はネットで「正座」について調べてみた。
先生が言っていたように、正座による危険性やデメリットが多く見られた。しかし反対に、正座によるメリットというのもあった。
例えば、
実は、先生が教えてくれたストレッチというのも、膝をゆっくり大きく曲げ、そして伸ばすという動きを取り入れたものであり、正座をする時の膝の動きそのものだった。それを知った時、なんだか先生に「とんち」を仕掛けられた気がした。
どんなこともすべて、
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」なのだよ、という答えがそこにはあった。
コーヒーを飲むといいとか、アーモンドを食べるといいとか、運動するといいというけれど、どれも「やりすぎ」れば、いい結果は得られない。
何事も「ほどほど」に、そして「いい加減」に。
薬も湿布もなかったけれど、賢く生きるための処方箋をもらえた、三度目の整形外科だった。
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