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ガチョウを飼ったらいつのまにか子供の頃の夢が叶っていたお話

水曜日いかがお過ごしでしょうか?今朝はティグレを仕上げてマガジンを更新して、ぼんやりしていたnolyです。こんにちは。

子供の頃、なりたかったものとか、叶えたかった夢、覚えていますか?
私は覚えていて、そのひとつが『鷹匠』です。

きっかけはある日のこと。

私は親の運転する車で移動中でした。車酔いしやすくて、よく窓をあけて外を眺めていました。すると大きな鳥が降りてきて人の肩にのるではありませんか。「わ!あの人!」と移動する窓の外に見つけた見慣れない光景を伝えると「あれは鷹匠だね。」とのこたえ。

大きな鳥が肩にとまるのを見てなんともしびれました。

カッコイイ。私もあれやりたい。鷹匠になりたい。

そう思うもそもそも鷹なんて手に入りません。鷹匠になるといってもなり方を調べることはせず、真似にもならないくらい小さいものの当時飼っていたセキセイインコを肩にのせて喜んでいました。お散歩やお買い物(ご近所へ)行ったりしてご満悦。

ちなみにセキセイインコは風切羽という羽を切る(痛みはないらしい)と遠くへは飛べなくなります。この羽は半年ほどでまた伸びてくるので定期的に切る作業もしていました。

そのうちやっぱり大きな鳥を肩にのせたくて、お小遣いをためてオウム(のつもりでしたがおそらくインコの大きなの)を飼いました。けれど、その子はあまり人慣れしておらず肩に乗せるのはおろか腕にのせることもできずに終わりました。

実のところその子はあまり好ましい環境で育った子ではありませんでした。

鳥屋さんのおじさんが「この子は人に慣れていないからむずかしいかもよ」と心配してくれたのをなぜか自分ならどうにかできる、私がこの子を救うんだ。と意気込んでいました。

半年位飼ったでしょうか。ある日、ゲージから脱走してとなりのカゴのセキセイインコを襲ってしまい、自分の力ではその子をしあわせにはできないとわかり、鳥屋のおじさんに謝ってひきとってもらいました。思いあがっていた痛い記憶。

その失敗体験があるため、ガチョウを飼うことになるかもと聞いたときにはもちろん静かに抵抗しました。

ガチョウは大きく、ましてや水鳥。今は誤解していたと気付きましたが当時はキリンにさえ飛びかかり追いやってしまう狂暴さがあるらしいと聞いて怖かったんです。

もっともこの記事を読んでくださっている皆様はもうガチョウが狂暴だなんて誤解はないと思います。「ガチョウは」の後に続く言葉は「かわいい」ですよね?ありがとうございます。

さて、それでタイトルの夢が叶った件がこちらです。

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鷹匠(タカジョウ)にはなれなかったけれどガチョウのフィフィを肩にのせることができました。

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鷹匠の何に憧れたかと言うと鷹を使って狩りをしたかったのでも、お殿様に喜んで頂きたかったのでもありません。

鷹を肩にのせる=鷹が肩にのるほどの信頼関係ができている。だったようです。大きな鳥を乗せられればいいということでもない(たぶん)。ということはセキセイインコを肩に乗せた時点で本当は私の願いはかなっていたんだなと言う気もします。

フィフィはフィフィ自身の意思で私の肩にのってきます。

重たいのと足が冷たくて乗るのをやめさせようとするときもあったのですが羽ばたいてのってくるので明確な意思を感じられます。(もっともこの時の私とフィフィははたからみるとガチョウに襲われているように見えるかもしれないなと心配になるときもありました)

ちなみにフィフィを肩からおろすときは「フィフィ、おーりーて。」と声をかけ、やわらかそうで危険物のない地面を選び肩を近づけて「せーの、いちにのトン」と合図と一緒に姿勢を変えていました。

フィフィも上手にトンと降りれると羽を広げてちょっと得意気(たまに遊び足らなくて不満気なときもある)

イイトシをした大人が肩にガチョウのせて喜んでるって冷静に考えるとちょっとどうかと思うけれど、こどものころの夢を想像以上に叶えられてとっても嬉しかったので生態でもなんでもないガチョウのフィフィのかわいいのひとつをお伝えしました。

今日もお読みいただきありがとうございました。

のこり半分、あなたの今週も素敵なものでありますように。


もっとガチョウのフィフィのかわいさを知りたいあなたはこちらのまとめおためしください。




















読んでいただきありがとうございます。 暮らしの中の一杯のお茶の時間のようになれたら…そんな気持ちで書いています。よろしくお願いいたします。