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なぜ向き合えないのか

10月より大学の科目履修生として通信で学芸員資格取得科目を受講しています。勉強は好きだし、好きで取るんだし、できるだろうと思っていました。できているのかもしれない、だけど、もっと簡単にできると思っていました。

スクーリングはなく、全て自分で勉強を進めるのも自分に合っていると思いました。できるだろうと。

科目は9科目。うち1科目は博物館実習で、スクーリング。8科目中4科目は課題レポートで単位認定され、残り4科目は課題レポート提出後試験を受けに行かなければいけません。

(1)レポート2本とテスト
(2)レポート4本とテスト
(3)レポート3本
(4)レポート2本とテスト
(5)レポート2本
(6)レポート2本とテスト
(7)レポート4本
(8)レポート4本

(1)のレポート2本を提出し、月に一度のテストに申し込み、
(2)のレポート4本中2本完成したところ。

(1)のレポート2本はテキストを参照して、こんな感じかな~と作成した。添削結果を見ないとわからないけれど。確認したら「B」評価でした。

(2)のレポートに取り掛かると書けなくなった。文字数が(1)の倍になり、本数も倍。しかし、テキストは1冊。しかも部分的。これをどうふくらませていけばいいのか、他の資料に当たらざるを得ず、腹を括りました。

腹を括った内容は
朝と夜は学芸員課程の勉強に充てる
参考文献を図書館で借りて読む
通勤時間、昼休みの読書はテキストや参考文献を読む
という至極当たり前のこと。

腹を括って2週間。レポートがまとまらず、時間をかけてもまとまらず、集中力も続かず、の状態がつらくなりました。

学芸員資格を取ろうと思ったのは、
博物館に勤務していて学芸員の仕事を間近で見て自分も知りたいと思った
今の仕事を辞めた後に博物館に関わる仕事ができればと思った
ダンス公演のプロデューサーをしている方が、学芸員資格を持っており、そこから仕事を始めたことを知ったから

最後の理由が大きい

そして、職場に学芸員資格取得の勉強をしている人がいて、その人に刺激を受けた。私もできるかな、と思った。

この春、職場に学芸員が一人増えた。
その人はこの3月まで教員として勤務しており、定年退職後に学芸員としての勤務を始めた。
子どもの頃から先生か学芸員になりたくて、定年の5年程前に通信課程で学芸員資格を取得した。子どもの頃からの夢を両方かなえた人。

私にはそこまでのものはない。
そこまでのものがないと学芸員資格を取得してはいけないことはない。

日々、仕事以外の時間、自宅にいる時間に何をしていますか。
私は本を読んだり、お菓子を作ったりしている。
今日、休みを取ったのは出かけたいところがあったからで、そこに出かけて帰ってきて、さぁ、何をしようかな、と。
note書いているんですが、何かすることを求めている。
その一方で、何か(今は学芸員資格取得のための勉強)があると、それに追いかけられるような感覚を持ってしまう。

昨年、TOEICに挑んだときはそういうことはなかった。
今年の演劇学校と社労士はそうだった。余裕がなくなった。

「何か」がないと生きてはいけないと私は思っているようで
そういう潜在意識があるようで

それは「何か」がないと人に評価されないと思っていたり
そういうことを評価基準にしがちだったり
そういうことを評価基準にする人が近くにいたり
という癖のようで

「何か」はあってもなくても本人が気持ちがよかったらいいんだよと
「何か」で評価するのはもういいんじゃないのと

学芸員資格は続けてみます。
学芸員資格がなくてもいいのだろうけど、やりたいことがその先にある。
学生便覧に1単位45時間の学習が必要とありました。
レポート評価が終わり、今度テストを受けに行く科目は2単位=90時間。
今苦しんでいる科目は4単位=180時間。と思えば、それくらいかかっている。それだけかけてもダメだったら、いいかな。