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陸前浜街道旅(その1) 東京~各駅停車~浪江駅

一人で充電してきていいと言ってもらって、
浪江・相馬旅へ。

始発の常磐線ローカルを乗り継いで、浪江には午前11時前。

新たに商店が集まったモールで海鮮丼をいただいて、隣のイオンでアルコール販売チェック。すごいアルコールの充実度で、俺みたいな人がいっぱいいるのかと…

このお酒を、浪江でこそ買いたかった。

商店モールもイオンもフリーWi-Fi。
Wi-Fiがないと通信できない古いスマホなので助かった。

(浪江のイオン、めちゃくちゃ店内が明るい。右側から見えない右手はたっぷりアルコールコーナー!)

東京から各駅停車で運賃が五千円弱。

原発事故の影響で帰宅困難区域となっている富岡から浪江駅までは代行バスで直通です。

五年くらい前に、南から自転車で行けるぎりぎりの場所「夜ノ森」まで行ったことがあり、バスの車窓から、懐かしいとも思ったのですが、驚いたこともありました。

その当時は、まだ田んぼや畑がまだらに整地されていて、人の手が入っているように思えるところもありました。

でも、それは見られなくなった。
というより違うのです。

田畑に雪が積もると景色が変わりますよね。

なんか神聖な感じです。
スキーに行くときに見る景色です。

「帰宅困難区域があるので窓は開けないでください」
と言われた、谷あいに大きく広がった田畑だったところは今、雑草とも言えず、雑木林とも言えない緑の雪が降り積もったような不思議な景色になっていたのです。

これを見て、なんと伝えようかと思いました。

「宮崎駿の世界みたい」

それでは、意味が分からない。

思ったのは、時間が逆戻りしている、と。

東京ドーム一個分前後の谷あいの農地が、自然の草でおおわれて農地だと分からなくなっている。それが続く。

ひょっとしたら、同じ場所の太古の昔に近づいているものを、今見ているんじゃないかと。

その太古の昔に、いろいろな理由で、この土地にたどり着き、生きるために想像を絶するような努力で開墾をした人たちがいたんじゃないか。

その時は、鍬はあっただろうか、牛はいただろうか、もっと進んでトラクターも使えるときに開墾をしたのだろうか。どんな理由で、どんな思いで。

どちらにしても、どの時代でも、相当な苦労で開拓されてきたはず。

その土地を受け継いで来た人たちが、地域全体で突然取るものもとりあえず立ち退けと言われたときの、そしてその後の辛さは、自分には全く分からない、ということを突きつけられました。

二日目に続きます。