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陸前浜街道(その2) 浪江→小高←原ノ町

今年で50才。

歩く旅をするごとに、歩くキロ数が減って、体重のキロ数が増えていることにがく然とします。

今回は、寄り道も含めて陸前浜街道を30キロ歩きました。

初日は時々雨の降るなか傘なしで、翌日の今日は東北最高の気温36.5になった炎天下の浪江方面に。

何でこんなとこをしているのか分からない、というか日頃の運動不足の解消なんですけど、壮大な理由が必要。

初日は浪江から小高まで、
翌日は原ノ町から小高まで、
という二日とも小高がゴールのルートになりました。

原ノ町は相馬馬追、という伝統行事で有名な街。

(馬追会場、格好いい)

静かで、車の通行が少なく、アップダウンの緩やかな道を歩いていると、江戸時代の大名行列の「下に~下に」という声が聞こえて来そうでした。

(この写真は、相馬のある地域。田んぼアートの場所を見学に行く途中)

今回の旅はキツくて、電話回線でのデータ通信ができるスマホがなかったりして、目の前で電車は行ってしまい二時間待ちとか、駅から離れているホテルの場所が分からなくなり、真っ暗な国道で大変なことになったりもあり、疲れて物事を考える余裕がありませんでした。

そんななかでも、旅の最後に感じたことは「人間ってすごいなあ」ということ。

生きていこう!という意志がある人が、タンポポの種のように、一度はいなくなっても、同じ人でなくても、また、そこに根付こうという強い意思で、現れて来るということ。

(柳美里さんが小高に移り住んで始められた本屋さん。宮沢賢治が出てきそうです)

これは、ここに限ったことではなく、現代に限ったことでもなく、日本に限ったことでもない。

そうやって人間は生きてきて、アフリカで誕生したホモサピエンスが、南米の最南端まで行ったんだなあと。

説によると、強い人間が新しい大地を切り開いて来たわけでなく、追われた、元の集団では弱い人たちが、努力して切り開いて来たらしいです。

行きの代行バスに乗ったときかなあ、新しい建物が増えてきた出発点の街を見たとき、今の世の中はすべてが「断絶」で細切れになっているんだなあと、突然感じた。

人も街も国も、人それぞれの考え方や思想でも。

断絶をあおることで、巨額の富を得る人もたくさんいるとは思うのですが、小市民な一人一人は、きっと断絶を断絶しないと、すべてが貧しくなっていくとも思いました。

福島に来ると、何故か自分に雷が落ちたように、言葉が落ちてくるんです。

断絶を断絶する。

なんだそれ。

行きの常磐線に乗っていて、茨城県辺りで、寝ぼけた頭の中で芸術ってなんだ、と突然思いました。

それも、私たちのような普通の、芸術活動と程遠い、町の人にとって。

芸術とは、人と違う部分があることは大切なんだよ、というメッセージなんではないかと。

今の自分から勇気を出して自分を表現して一歩前に進む。

その勇気を与えてくれるのが芸術なんではないかと。

そして、居心地のいい同じグループの中で安心して、他と断絶していたら、そこから勇気をもって一歩を踏み出して、断絶から離れて対話をする。そんな力をこれからも芸術からもらいたいなあと思いました。

酔っ払っていま、福島の「いわき」のビジネスホテルで書いています。

明日は、福島沖で試験操業をしている魚を販売しているお店に行ってきます。福島の海はいま、相当魚が増えているらしいです。この目で見て食べて帰ってきます。

いま、福島は鰹がヤバイです!旨い!