まず幼稚園に行きたくねえ
小さな上靴の入った下駄箱。
どこが誰の場所かわかりやすいように、それぞれシールが貼ってあった。私の下駄箱には、ピンク色に青い音符のマークの丸いシールが貼ってあった。
そんな下駄箱の中に上靴をしまった回数も他の人よりずっと少ない。
右左がわからない私のためにお母さんがインソールにマーカーで印をつけた上靴。他の子らのと比べると汚れてなくて、赤いラバーの部分も色落ちしていなかった。
幼稚園に行く時間になると私は必死に抵抗して、引き摺り出そうとする母親と毎朝のようにプロレスが行われていた。
風邪をひいて休みがちで周りとうまく馴染めていなかったのと、分離不安というやつで、母親と離れるのが怖かったのかもしれない。母親という安全基地から飛び出して冒険するという過程を踏めなかったのだろう。この後書くが、先生や給食、いろいろな要因が重なって不登園になっていたと思う。
そもそも風邪をひきやすかったのは、母親の過保護のせいもあるんじゃないかと今になって考えている。
外に出るときには必ずマスクをさせ、手の消毒をするためにエタノールを入れたスプレーを持たせたり、少し症状が出たらすぐに薬を飲ませる。布団カバーは特殊な機能付きのものを通販で購入してダニ対策をし、空気清浄機と加湿器を完備していた。
子供は風の子、ちいさいうちはばい菌に触れ合って、免疫を作らせることも必要なんじゃないだろうか。
「なあに、かえって免疫がつく。」的な話をしているのではない。子供のためにと清潔にしすぎるのも問題だと思うのだ。
そりゃあ親心で子供を守りたい気持ちもわかるけれど、もすこし放任でもよかったんじゃないか。
そして、私が年中組だったころの先生である。
私はM先生のことが好きではなかった。てか、むしろ嫌いであった。なぜかはわからないけど、他の子に比べてあたりが強い気がした。M先生も私のことを好きではなかったのだと思う。
M先生と一緒に撮った写真では、私は死ぬほど不機嫌そうな顔をして写っている。
ダンボールでロボットを作ろうという工作の時間、M先生に何度もどうしたらいいか聞きに行った。そうすると、
「まるまちゃんだけにかまってられないの。少しは自分で考えて、周り見てごらん」
と怒られて、このころからメンタルが弱かった私はボロボロ泣きべそをかきながら工作を行なっていた。
嫌われていたのはM先生からだけではない。
Hちゃんという女の子から、やたらめったら嫌われていて、絵を描いていれば横から下手くそとヤジが飛んでくるし、ブランコの順番は譲ってもらえないし、ポケモンのパールを買ったら「パルキアきもい」とディスられるし、散々であった。
メンタルゲキ弱まるまちゃんは、幼稚園のころから嫌なことがあると逃げ隠れするというくせが身についていたのであった。
登園の時間になるとベッドの柵にしがみついて拒否し、つまらない幼稚園、早く終われ、早く終われと思いながら過ごしていた。
引きこもりに適性がありすぎたのであった。
園庭に出ての運動の時間なんて最悪である。運動会は参加したことはないが、ほんと最悪である。砂が舞い散り、口の中に入って気持ちが悪い。
そのかわり雨の日はまだよかった。外遊びができないから、薄暗い教室で好きなことをできた。
さらに最悪だったのは給食だった。
好き嫌いが激しく、偏食家だったまるまちゃんは、給食をほとんど食べることができなかった。
それに、牛乳アレルギーもあったので、毎日麦茶を入れた水筒を持って行かなくてはいけなかった。これもなかなかだるかった。
給食を残しては自分に失望し、先生に叱られて、周りの子にもなぜか怒られて、肩身の狭い思いをしていた。
そんなわけで、幼稚園なんか全然楽しくなかったのである。
かといって、家にいても楽しくなかった。
朝はにほんごであそぼといないいないばあを観て、夜は夫婦喧嘩を見ては怯え、夕食前はキッチンの調味料を混ぜこぜにして遊んでは怒られていた。
毎日がどうしようもなくくだらなくてつまらなくて仕方がなかった。そんな幼稚園時代でした。
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