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大名屋敷跡と現代の高層ビルから読み解く、企業の生産性への影響 〜 「消えてしまったもの」からも発見を得られる経済学研究のおもしろさ 〜

一橋大学と帝国データバンクが設立した、 一橋大学経済学研究科 帝国データバンク企業・経済高度実証研究センター(TDB-CAREE)の研究成果をご紹介するシリーズ第1弾です。
ディスカッションペーパー「From Samurai to Skyscrapers: How Transaction Costs Shape Tokyo 」(初版2021.03、改訂版2023.03) の概要を、研究者へのインタビューと合わせてご紹介します。

ディスカッションペーパー著者
 山﨑 潤一さん (神戸大学 大学院経済学研究科 講師)
 中島賢太郎さん (一橋大学 イノベーション研究センター 准教授)
 手島 健介さん (一橋大学 経済研究所 教授)

モノを売り買いする時に、実際に支払われるお金とは別に必要になる手間を経済学では「取引費用」と呼びます。
例えば、土地の売り買いであれば、売り手と買い手との間で価格や支払い方法、引き渡しの時期・方法などについて合意をとる必要があり、さらに役所や銀行などへ土地の登記情報を届ける必要もでてくるでしょう。これらの調整にかかる負担が「取引費用」です。

「取引費用」は、ビジネスパーソンにとっては感覚的に理解しやすい概念ですが、実際にどの程度の影響力をもって存在しているのかを測るには一工夫がいります。
一橋大学の帝国データバンク企業・経済高度実証研究センター(TDB-CAREE)から初版が2021年に公開されたディスカッションペーパーでは、この「取引費用」の長期的な影響力について、江戸時代の大名屋敷の跡地と、その周辺の土地がどのように利用されてきたのか比較することによって明らかにしました。

研究によって見えてきたのは、大名屋敷跡に現在では数多くの高層ビルが建てられて産業の集積が進み、さらに生産性の向上にも貢献しているということ。都市の中心にまとまった広い土地が残されてきたことが、高層ビルの建設が可能になった1970年代以降に都市の経済発展へとつながっていることがわかりました。

この研究は、TDB-CAREEによる企業データと、江戸時代から現在までの東京都の地図データなどをもとに行われています。このユニークな研究がどのように進められてきたのか、分析を主に担当された神戸大の山﨑さんを中心に、一橋大学の手島さん、中島さんにも詳細を補足いただく形で2022年7月14日にお話をうかがいました。

明治維新による変化を取引費用の「実験」として読み解く試み

この研究は、中島さん、手島さんが研究に活用可能な地図を収集しているところに、山﨑さんが取引費用の影響を分析するアイディアを持って参加し、2017年2月ころからスタートしました。

3人はそれぞれの分野で、土地や企業、個人などのデータ(ミクロデータ:地域や産業・集団など、より大きな単位で集計される前の個別のデータ)を使った研究をおこなっています。
中島さんは、主に都市に関するミクロデータを用いた、都市生成のメカニズムなどの分析を専門としています。手島さんは、主に途上国や日本のミクロデータをもとにした貿易や都市にまつわる諸問題の分析が専門です。
山﨑さんは、日本経済の歴史的ミクロデータを使った経済発展のメカニズムの分析を専門としており、江戸時代や明治時代のデータを扱った論文も書いています。こうしたバックグラウンドをもとに、この研究でも「取引費用」の影響力を分析する鍵として大名屋敷跡地を利用することを思いついたそうです。

長期的な影響を分析するためには適切な比較対象が必要になります。明治維新後に市場で取引きができるようになった大名屋敷の土地は、地理条件的には周辺の町人の居住地(町人地)とほとんど違いはなく、土地区画のサイズのみが異なるという、比較にはもってこいの条件を備えていました。このようにほとんど同じ性質をもつものが、歴史的経緯や社会制度の変化などによって、あたかもランダムに異なる条件を与えられて結果を比較できるようになった状況のことを自然実験とよびます。

この研究は、分析方法を思いついた山﨑さんがデータの構築・分析を担当し、分析向上案・論文構成案を3人で議論しては再び分析を繰り返して練り上げていく形で進められました。

広すぎて扱いづらい?大名屋敷跡から見る取引費用

山﨑さんたちは、まず、東京都の土地を100m x 100mのメッシュに切り分けて、それぞれに含まれる土地の区画数、地価データ、30階以上の高層ビルの数などを明治時代から現代まで、時代を追って集計する作業に着手しました。
このデータ作成の作業には、不足するデータを探しつつ、10名以上の学生アルバイトの手も借りながら、約3年間もの日数がかかったそうです。

大名屋敷跡の広い土地の影響力を確認する方法としては、「回帰不連続デザイン」という分析方法をとりました。回帰不連続デザインは、ある事柄の影響力をはかるために、閾値の前後で影響力の指標となる値に差が現れるかどうかを確認する分析手法です。
例えば、ある資格の取得が受験者のその後に与えている影響を見るのであれば、合格点ギリギリの受験者の情報に注目し、x軸には資格試験の得点、y軸に年収などの指標をおいて分析します。閾値となる合格点の前後で年収に大きく差ができているようであれば、受験者の能力ではなく資格そのものに影響力があることが推定できます。

この研究では、100m x 100mのメッシュごとに、その中の土地区画数や高層ビルの数、地価などを集計し、さらに町人地と大名屋敷街の境界からの距離にもとづいて並べたグラフを作成しました。
もし、大名屋敷跡の広い土地の存在が周囲になんの影響もおよぼしていないのであれば、グラフは左右で特に変化することなく、なだらかにつながるはずです。
山﨑さんたちが実際に作成したグラフでは、町人地と大名屋敷街の境界を隔てて、現在の土地区画数や高層ビルの数などに大きく差がついているのがわかる結果となりました。 

メッシュ中の土地区画数は、2000年代になっても大名屋敷街の側で相対的に少なく、区画が広めになっていることがわかります。一方で30階以上の高層ビルの数は大名屋敷街側の方が多いことがはっきりしました。つまり、高い価値を生む高層ビルの建設には十分に広い土地が必要となるのに対して、旧町人地の小さい土地を集約するには高い取引費用が存在するため、維新から150年経った現在も大名屋敷街の地価が高い、ということになります。

一方で、同様の分析を各年代の地価について行い、1970年代までは大名屋敷街側のほうが相対的に安価だったこともわかりました。
戦前までの製造業が中心となる産業構造では、広い土地には工場や倉庫などの用途しかなく、わざわざ分割する手間をかけて売り買いするニーズもなかったと考えられます。そのため、大名屋敷跡地の多くは、そのままの区画サイズが現代まで維持されてきました。
土地区画の分割が進まず地価が安く値付けされてきた点からも、取引費用の存在を推定することができます。

広い土地区画の価格評価について、風向きが変わったのは、高層ビルの建設がはじまった70年代に入ってからです。
東京都内の最初の高層ビルは1968年に建設された霞ヶ関ビルです。それ以後、30階を超す高層ビルの数は年々増え続けてきました。1990年に23区内に32棟だけだった高層ビルは、2000年には86棟になり、2010年には260棟にまで増加しています。

大名屋敷跡の広い土地区画は高層ビル建設に十分な面積をもっており、相次いで高層ビルが建設されるようになりました。山﨑さんたちの研究でも、町人地と比べると安価だった大名屋敷跡の地価が1972年のデータでは差がなくなり、その後逆転して高額になっていることがわかりました。

建築技術の発展と、産業の中心が製造業から知識集約型に変化してきたこと。この2つのマクロ的な変化が起きたことによって、土地の「広さ」に新たな価値が生まれるという興味深い展開が起きています。

さらに、これら一連の影響は都心部でより強く働いていることがわかり、取引費用への対応は政策的にも重要性が高いことがわかりました。その背後には、都心部に存在する高い開発ポテンシャルが、地主にとって交渉から得られる便益を高めるため、交渉を複雑にして取引費用を上げてしまうことがあるのでは、と山﨑さんたちは推測しています。

企業活動データから見えること

土地区画の大きさが維持されていることから見えてきた取引費用の存在について、次に明らかにしたいのがその企業活動への影響力です。

既に示されてきた、高層ビルの数と、その関連需要による地価の上昇も、社会に対するかなり大きな影響力といえますが、山﨑さんたちは、より実際のビジネスへの影響を分析するため、企業の経営情報を利用しました。

TDB-CAREEでは、帝国データバンク(TDB)がもつ100万社以上、数十年間にわたる企業情報を利用した研究が可能です。山﨑さんたちは2020年3月にTDB-CAREEに参加し、TDBが保有する企業データをもとに都内に本社をおく企業への影響を分析に加えました。

本社所在地にもとづいて地図上にマッピングし、企業の生産性の指標として従業員あたりの売上高を用いて新たに分析を行ったところ、大名屋敷跡地の企業では生産性が高くなっているという結果が得られたそうです。
こうした結果に対しては、もともと生産性が高い、つまり儲かっている企業だから高層ビルの良いオフィスに入居できるのではないかということも考えられます。しかし、企業の転入・転出が大名屋敷跡地で特に多いということはなく、入居している企業がそれぞれに生産性を高めていることがわかりました。
この結果は、企業が多く集まることで生まれる様々な「集積の便益」が生産性を高めるという経済学の理論とも整合するものだそうです。

共同研究だからこそ乗り越えられた苦労と最優秀論文賞

2017年にはじまった研究は、4年後の2021年3月にディスカッションペーパーにまとめて発表されました。また、研究内容を発表したアメリカ不動産都市経済学会とアジア不動産学会、世界華人不動産学会の2021年度合同大会では最優秀論文賞であるHomer Hoyt Institute Best Paper Awardを受賞しました。

山﨑さんは、長期にわたった研究をふりかえって「終わってしまえば、大したことなかったように思ってしまうんだけど」と前置きしながらも、やはり大変だったのはデータ作りだったと言います。共同研究をやる意味は、こうした大変さを乗りきる力になる部分にあるとも感じているそうです。

「一人でやってると、これ以上はやれないと思う時があるんですよね。だけど、そういう事情を知らないメンバーに研究を見てもらうと『他にこんなデータもあればいいんじゃない』って、悪気なく言ってくれる。言われてみれば、確かにあった方がいいなと思える。
メンバーの全員が細かい苦労を見ていない方が、プロジェクトとしてはうまく行くときもあるんじゃないかなと思います。」

作業の大変さをいったん脇においた助言や期待が、研究を進める支えになることもあるようです。
今回の研究では、例えば70年代、80年代の地価データは、こうしたアドバイスをきっかけにあらためて探しはじめて国会図書館から見つけることができたと言います。高層ビルの建設が進む時代に、地価が変化している様子を確認することができ、マクロ環境によって優先される性質が変化することを追うことができるデータとなりました。

「消えてしまったもの」も対象にできる研究のおもしろさ

史跡をもとに、どんな経済学的な力が働いたのかを分析する山﨑さんたちの研究は、地質学や歴史をベースに現在の姿になった経緯を読み解くNHK番組「ブラタモリ」にもなぞらえられることもあるそうです。

山﨑さんによれば「残っていないものも分析の対象になるのが違い」とのこと。
ブラタモリでは現在まで残っている地形や史跡などが取り上げられることが多いのですが、経済的な解釈を行うことでさらにわかることがあると言います。

「ブラタモリでは、残ってるものはビジュアルの力が強いのでよく紹介されていると思うのですけど、『どこに残ってないか』はあんまり見ていないと思うんですよね。
 大名屋敷についても、都心に残っている影響と、逆に都心から離れたところで弱まっているコントラストについて、その理由を経済的に分析できるのがおもしろさです。」

今後の発展

この研究成果について、山﨑さんたちはさらに分析の精度を高めて学会への発表やジャーナル投稿を行なっています。
また、都心の高層ビルを本社とする企業の生産性向上にみられた「集積の経済」について、さらに詳細なメカニズムを明らかにしていくことも今後の関心事となっています。
企業が集まったことによって、どんな作用が起きて生産性が高まっているのか、このメカニズムが明らかになれば、より生産性を高められるオフィスビル設計のヒントになるかもしれません。コロナ禍や副業時代を受けて変化しつつあるコワーキングスペースや、オンライン上のオフィスなど、個人単位やオンライン上での集積についても示唆が生まれないか、今後の展開を楽しみにしています。

ディスカッションペーパー リンク:https://hdl.handle.net/10086/79717


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