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7年前の出来事。。続き2

なんとか
止血に成功していただいて
GICUへ移動

次の日にその4メートルのガーゼを取り出すことになっていて
そのときに、また、
出血をしてしまう可能性があり。。
万が一の手術のために
動脈へのラインをとっておきたいと言われて
一番太いであろう動脈を探すも
血管にたどり着けず。。。
なんどもぐりぐり?というのか💦
針をさして、動脈を探す。という時間が。。。💦
でもね、痛くないの。
怖いよね。
痛くなかったんです。
血管探してぐりぐりというか、探しているなっていうのは分かるけど
針を刺されても動かされても痛くなくて。。。
結局、ラインはとることができず。。
もう、出血しすぎて、血管の張りもなかったんでしょうね😓

出産した喜びもつかの間
夫と母は病院の廊下で
ただ、ひたすら待たされ
不安な時間を過ごしていたと聞いています。

先生からも、覚悟をしてくださいと言われたとか。。
二人がどんな思いでいたのかと思うと
切なくなります。。

当日、長男も病院へ駆けつけてくれていたのですが
会うことはできませんでした。
彼もまた、不安だったろうと
後に、動画のメッセージをくれました。
涙ながらに、こんなことになると思っていなくて
もっと、ちゃんと
送り出したらよかった。と
話してくれました。

お互いに、そう感じていたと思います。
まさか
あれが、最後になるなんて。。。

まあ、最後ではないのですが
長男には、数日会うことができなかったので
さみしさや、不安は強かったのではないかと思います。

次の日、無事にガーゼを取り出して
九死に一生を得ました。

最終的に5リットルぐらいの出血をしていたようです。
ということは
全部の血液が出てしまった程の出血。。。
次男を出産したのは38歳
高齢出産になる年齢で
だから、こういったことも起こりやすかったのか?
いま、生きているから
こうやって過去のこと。として話せるけど
もし、違う結果だったとしたら
家族は、話すことができるのだろうか?
こうして過去のこと。と、話せることは
本当に、幸せなことなのだと。
思う。

不妊治療をして
死にそうになって
それでも、迎えたかった命。
わたしにとって
家族が特別で、愛してやまなくて
信じていて、かけがえのない
そんな存在なのは
こういう、経験からなのかもしれない。

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