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死ぬ気があれば何でも出来るなんて嘘

女優さんの死亡記事から

女優さんが亡くなった。30代半ばで亡くなり、原因は不明とのことだったけど、自殺だったのかな。そんなニュースがあちらこちらで目に入る。

そしてそんな記事を見ているとほんとみんな言いたいこと書いてるね。ほっといてやれよと思う。

死ぬ気があればなんでも出来るは幻想

死ぬより怖いものはないとか死ぬ気があればなんでもできるとか言う人いるけど、それは人によって違うと思うし、実際そうではないと私は思っている。

私は何度も死のうとしたが、すっごく死のう!!と決意したわけではない、気がつくとそうしてたのだ。

本当に死のうと思う時には多分勇気はいらないように思う。気がついたら死のうとしてるんだから。
子供の事を考えろ!とか言う人いる。残された人の事考えろっていう人いる。

自殺は無意識

あのね、よくわかってないよ。
そんな事考えられるような状況の人は死なないのよ。そんな事も考えられないくらいおかしくなってるか追い詰められている人が死のうとするんだよ。

本気で死のうとした事がないからそんな言葉を言うんだと私は思ってる。
もう言われようのない事色々言われ、フラッシュバックに苛まれ、頭の中で声がこだまして、何度も同じ映像が見えてきてどうしようもなかった。心が追い詰めれてどうしようもなかった

狂っていたワタシ

ただある人を殺したいと思った。滅多刺しにしたいと思った。気が済むまで刺して股間にあるものを切り落としたいと思った。そしてそいつを殺して私は刑務所に入るか、私が死ぬかどっちかだと思った。
一番いいのは余計なことしか言わない私の父親が殺人を実行すれば相手は死んで、父親は刑務所に入れば一石二鳥だと思った。これが一番のハッピーエンドだと思った。すごいいい考えだと思った。

おかしいでしょう。イカれているでしょう。
イカれてる私が数ヶ月前の私なんだ。

申し訳ないけどそれしか頭になかったのだ。それもほんの数ヶ月前。

死にたい人の家族は大変なのかもしれない。でもそんな家族の事なんて考えられない状態が死んでしまう状態。そこにはただ寄り添うことしかないと思う。

こうするなとか、やめろとか命令系で言う人がいるけど、あれは何にも意味がない。死のうとしている状態は何にも怖くないし、痛さも感じない。感情はある感情以外欠如する。少なくとも私はそうだった。何かに費やすエネルギーもない。あるといえば残された死に向かうエネルギーだけ。その残された微々たるエネルギーが私に向かわせる。それも無意識に。それが私の体験だ。すべての人に当てはまるとかそんな事は知らない。ただ私がそうだったというだけ。

机上の空論は無意味

臨床心理士やカウンセラーにもわかんないと思っている。実際何人もの方に会い、話をした。実際私を余計に追い込んだのは未熟な机上の空論しか語れない彼らである。

公式には当てはまらない事がある。
知識だけでは何ともならない事がある。
それを理解しようとしたらダメなんだ。
ただ感じること。感じようとすること。できるのはそれだけだと私は思う。

そして私の事は私が解決しなきゃいけない。そう思った。誰かが助けてくれると他力本願ではどうしようもない。私は今までも色んな事柄を乗り越えてきた。だからこれも何とかすると絶対に何とかなると思っていた。

そんな私が多分生まれて初めてくらいもう何ともならないし、どうでもいいと思った。何にもする気がなくなった。その状態が今回の状態だった。

自称逆境力半端なかった私が壊れたんだ。理論は知ってる、体験もある。そんな私が約2年、ほぼ2週間おきに起こる想定外のストレスにどうしようもなくなってしまった。
人の壊れ方が自分を通してわかった。

ガラガラ、ポロポロと自分からウロコが剥がれていくような感じだった。

害虫駆除

色んな人が見えてきた昨年から今年。私の前に群がっていたのはハエと蛾だったと思っている。
何か私から手に入れようとする輩がいっぱいだったことに気づいた。

目立つから仕方ないかもしれない。だけど、みないい顔をしてなんでも言ってといいながら頼んでくる事ばかり。その人たちに私がお願いした事はほとんど聞いてもらえなかった。私がほんとにしんどい時に手を差し伸べる人は数少ないし、私は別に手を差し伸べて欲しいわけでもないようにも思う。

可哀想にーーはいらない。ただ普通に接して欲しい。ただそれだけ。
チヤホヤはいらない。キャーキャーはいらない。
お金くれとか、金貸してくれとか、エネルギー欲しいとか、手伝ってくれとか、情報くれとか、ものをくれとかそんな時だけすり寄ってくる人はいらない。

私本人に興味持ってる人はそんなにいなかったように感じた事とそれは数少なかった事がわかった。そんな人たちを断捨離できたことはよかった。

死にたい人への接し方

自ら死んだ人がいた。この事柄に悲しい人が沢山いるのかもしれない、後追いしたくなる人もいるのかもしれない。

それ以外にも色々悩んでいる人はいると思う。そんな人たちは一見わからない。元気に見える。気丈に見える。でも壊れかけ寸前の人がいる。私も側から見たら普通だろうし、むしろ普通の人より元気に見えただろう。でもボロボロだった。同じような人もいると思う。

その人たちにアドバイスはいらない。𠮟咤激励もいらない。
必要なのはただ寄り添うこと、あなたがいてくれると私は嬉しいということ。ただそれだけでいい。
そしてそれを根気よく伝えてくれたのが私のパートナーであり。家族である。

そんな家族の一面が見れたこと、絆が深まったと感じることは私にとってはよかったと思ってる。
ありがとうみんな。

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