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3000m障害東京五輪7位の三浦がラスト1000mで見せた世界の力

【日本選手権レビュー⑤】
3000m障害は大会新で優勝の三浦と、自己新2位の青木が代表に内定。オレゴンで史上初の2人決勝進出の可能性

7月の世界陸上オレゴン代表選考会を兼ねた第106回日本選手権(大阪市ヤンマースタジアム長居)。男子3000m障害は大会3日目の6月11日に行われ、8分14秒47の大会新で優勝した三浦龍司(順大・20)と、8分20秒09の自己新で2位に続いた青木涼真(Honda・当時24)が、世界陸上参加標準記録(8分22秒00)突破と日本選手権3位以内の基準をクリアして代表に内定した。
 今シーズン3000m障害2レース目の三浦は2000m以降を課題として臨み、進歩を見せたが同時に、世界陸上で戦うための課題も確認した。2位の青木は三浦との差を認識した上で冷静に力を発揮した。

●2000m以降の課題と進歩

三浦はスタート直後に先頭に立ち、1000m通過では荻野太成(旭化成)が2mほどの差で食い下がっていたが、三浦は他の選手との差をどうしようとは考えていなかった。
「(1000m2分45秒、2000m5分32秒の通過は)ラップライム的には狙っていたところで行くことができました」
 1000m通過も2000m通過も、三浦の過去のレースの中で8分09秒92の日本新を出した東京五輪予選(2分43秒2と5分30秒9)に次いで2番目に速い。3000m障害今季初戦のゴールデングランプリ(GGP。5月8日)では、2000mまではスローの展開になっても集団で待機し、残り1000mで世界で戦うためのテーマを実行した。GGPでは障害の踏み切り位置に足が合わず、脚を乗せないハードリングができないなど課題が残った。今回はハイペースで進めた後のラスト1000mをテストした。
「(最後の1000mを)2分40秒を切って行きたかったと思います。自分はまだ今日のラップは知りませんが、ピッチを上げたりハードリングにスムーズに入ったりする部分は、明らかにキレがありませんでした。(残り1000mの全障害に脚を乗せずに)跳べたからOKではなく、1つ1つのスムーズさがなく間延びや、歩幅が合わずに小刻みに合わせてしまってタイムロスがありました。着地も軽やかさがなくダメージがもろに来ました」
 三浦が言うように、残り1000mのラップは2分42秒かかり、目指したタイムに達していなかった。
 去年の日本選手権優勝タイムは8分15秒99。昨年は残り500mの水濠の着地で転倒したが、今年も雨で条件的には良くなかった。記録の単純な比較はできないが、今季はここまで、1500mで「スピード」と5000mで「スタミナ」の向上をしっかりと行い、3000m障害専門の練習は少なかった。
「スピードとスタミナという面では十分な力が付いていると思います。しかし3000m障害には、3000m障害でしか用いられない複合的な要素が必要です。その力や技術は今シーズンはまだ不十分だとわかりました」
 そこが十分に発揮されるのは1カ月後の世界陸上本番になる。東京五輪予選の日本記録のときは残り1000mが2分39秒0、7位に入賞した決勝では2分39秒8だった。今季の三浦がそれよりも速く、ラスト1000mを駆け抜ける力はついている。

●「いつかは三浦に一矢報いたい」と青木

2位の青木も「最後の1000mをなんとか我慢すること」を意識していた。
 1000mと2000mの通過タイムは、三浦との差から2分46秒と5分35秒(2分49秒)くらいだったと思われる。2000m通過は昨年の日本選手権で三浦が当時の日本記録(8分15秒99)を出したときと同じで、かなりのハイペースである。8分22秒00の標準記録を破るには最後の1000mを2分47秒以内が必要だった。
「2000mまでは強気に、ある程度のペースで入ろうと思っていました。三浦君との差は無理して詰めないで、むしろ1つの目印として走って、ペースが間違っていないことがわかりました。2000mを自分の(速い)ペースで行って、残り1000mをなんとか我慢して標準記録を破る。思い描いていたペースで走ることができました」
 昨年の日本選手権で出した8分20秒70の自己記録を0.61秒更新し、東京五輪に続いて代表入りを果たした。
 三浦の陰に隠れてしまっているが、青木も注目される要素を多く持っている。
 法大では生命科学部で学ぶ“理系ランナー”で、陸上競技部が活動する多摩キャンパスには毎日1時間半をかけて行き来した。実験の授業で練習に参加できないときは1人で、それも全体練習より質の高い練習を行っていたという。大学2年時の関東インカレ3000m障害に優勝すると、箱根駅伝は注目度の高い山登りの5区で区間賞と快走した。
 大学入学時は進路として大学院進学を考えていたが、実業団で競技を続けることを決意して20年にHondaに入社。同期には10000mで東京五輪代表となる伊藤達彦(Honda・24)や、マラソンで2時間6分台を出す土方英和(Honda・24)がいて、切磋琢磨して力を伸ばした。2年目に3000m障害五輪出場だけでなく、9月の全日本実業団陸上5000mで13分21秒81と、その時点のシーズン日本最高タイムをマーク。ニューイヤー駅伝は5区区間2位でHondaの初優勝に貢献した。
 5000mは三浦も織田記念優勝など日本トップレベルなので甲乙付けがたいが、ロードの実績は青木が勝る。東京五輪は予選落ちではあったが、8分24秒82は従来の五輪日本人最高記録(8分29秒07)を上回った。数年前の状況なら間違いなく、青木は日本の3000m障害の歴史を変える選手として期待されていた。
 だが青木は、三浦との差を「3000m障害の総合的な能力、走力、筋力、ハードル技術と見ただけでわかります」と、目を背けず認識している。
「自分のレベルを走力、筋力、技術と1つ1つ上げて、彼を追い続けていくことが世界と戦うことにつながります。いつかは一矢報いたいですし、地味にじわじわと追いかけていくので、楽しみに見ていただければな、と思います」
 一矢報いるのは来年以降かもしれないが、オレゴンでは五輪&世界陸上を通じて初めて、3000m障害の決勝を日本人2人が走るシーンが見られるかもしれない。青木は期待していい選手だ。

TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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