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マラソンに向けてのステップにしたい山口と大森。市民ランナーと学生女王だった実業団ランナー【東京レガシーハーフマラソン2022プレビュー②女子】

 10月16日に開催される東京レガシーハーフマラソン。国立競技場という東京オリンピックのシンボリックな施設を活用し、形として残るレースを続けていくことを目的に、東京マラソン財団が主催し今年からスタートする大会である。エリート女子は1時間7分台の記録を持つ3選手、ベッツィー・サエナ(アメリカ・34)、ドルフィンニャボケ・オマレ(ケニア・21)、キャロライン・ンニャガ(ケニア・28)の争いが予想される。日本勢もペース次第では、参加選手中日本人最高タイムの1時間09分50秒を持つ山口遥(AC・KITA・35)、1時間09分58秒の福良郁美(大塚製薬・25)、トラックで復調を見せた大森菜月(ダイハツ・28)らが先頭集団に加わる可能性がある。

●コーチは1時間10分台、選手は1時間8~9分台が目標の山口

市民ランナーの山口遥が好調で、8月の北海道マラソン優勝(2時間29分52秒)を経て今大会に出場する。1時間10分台のペースを想定し、レース展開次第では1時間09分50秒の自己記録更新も目指す。
 山口はブラインドランナーのガイドランナーとしての活動もしている選手。昨年の東京パラリンピックでも今大会と同じコースを走り、「ブラインドの選手が脚をつってしまって、走ったり、止まったり、歩いたりした思い出のコースです。今回は1人で駆け抜けたいですね」と、ちょっとユニークな意気込みを話していた。
 実は東京レガシーハーフでも仲間と走る。練習を一緒に行うことがある和田伸也(長瀬産業・45)と一緒にレースを進める予定だ。
「ハーフの自己記録は和田さんより私の方が1分くらい良いのですが、普段の練習を見ていると和田さんは力があります。和田さんが68分台で行きたいと言っているので、私もそのくらいで帰ってきたいですね。私が一歩でも先に帰れるように頑張ります」
 山口は「常にマラソンを意識」しているなかでのハーフ出場となる。しかしマラソンは、20年の大阪国際女子で2時間26分35秒の自己記録で7位(日本人2位)になった後は、2時間30分が切れなくなった。
 前後半のタイム差を調べると、大阪まではイーブンペースか後半の方が速いネガティブスプリットだった。大阪の中間点通過は1時間13分36秒である。その後のマラソンでは1時間12~13分で通過するなど、攻めの走りも見せるようになったが後半で大きく失速している。
 その理由に安田享平コーチは「練習で走りすぎてしまうこと」を挙げている。
「走ることが大好きなことが持ち味ではあるのですが、練習報告では月間900kmでも、平均で1000kmは超えています。20年大阪のあとはそれに拍車がかかり1500kmは走っていました」
 その点を山口にも質問すると、「休むのがとっても苦手なので、それはあるかな」と答えていた。山口自身も自覚して、練習量のコントロールができるようになり、北海道マラソンの優勝と2年半ぶりの2時間20分台という結果に現れた。
 安田コーチによればぎふ清流ハーフの自己新の後、カナダと豪州のマラソンでやはり後半失速して気持ち的にも落ち込んだ。それでもトレーニングは順調に積んで、7月くらいには精神的にも良い方向に向かい始めたという。ゼネラルしか取らなかった給水をスペシャルも作るようになったこと、避けていた厚底シューズを履きこなせるようになったことも、北海道の結果につながった。
 ロングジョグは「山口の練習のキモ」(安田コーチ)だが、1km4分30秒前後とスピードは速くない。それでも最後の5kmは1km3分20秒くらいまで上げる。それが北海道マラソン前は3分10秒まで上げられるようになった。自己記録更新だけでなく、「来年の大阪国際女子マラソンは2時間23分台で行きたい」というプランに向けて順調に進んでいる。
 そのプロセスの中で、東京レガシーハーフマラソンを走る。安田コーチは「コーチとしては1時間10分台」と話しているが、山口自身は前述のように1時間8~9分台を目標としている。「招待していただいているので、日本人トップは狙います」と、勝負にもこだわって走るつもりだ。


●トラックで復調した大森もマラソン飛躍へのステップに

実業団勢では大森の復調ぶりに注目したい。大森陣営が考えているペースも「1時間10~11分台」(山中美和子監督)だ。「駅伝に向けて深川の頃のスピードに戻していきます。レガシーハーフはその過程で、最後の走り込みという位置づけです」
 大森が久しぶりに好走したのが、山中監督が言及した6月の深川(ホクレンDistance Challenge20周年記念大会)だった。5000mで15分29秒46で優勝。2位に30秒近い差の圧勝だった。自己記録の15分28秒32を出したのは大学3年時の15年。7年ぶりに15分30秒を切った。
 大森は深川のレース後に次のように話していた。
「自己新で走った当時は学生で、イケイケドンドンで速くなれた時期でした。かつて速かった自分のことは、自分のなかでも知っていて、周りの人たちもそう見ています。そんな自分がどんどん遅くなっていく姿を見られることが、屈辱でしたし怖くもなっていた。去年の夏は同じ深川で5000mの自己最低記録(16分46秒02)で走ってしまい、(陸上競技を)もうやめようと考えていました」
 昨シーズンの大森は3月の名古屋ウィメンズマラソンに2時間28分38秒の自己新で10位(日本人6位)に入り、マラソンに活路を開いたと思っていた。だが、山中監督に話を聞くと、そう簡単なものでもなかった。
 大森にとって調子のバロメータはマラソンではなく、得意としてきた5000mだった。20年のシーズン前半で仙骨を痛め、約8カ月間、レースに出られなかった。駅伝メンバーにも入れなかった。21年3月の名古屋ウィメンズで前述の2時間28分台をマークしたが、本来のスピードを戻そうとした夏のトラックレースで、深川の自己最低記録など走れなかった。練習をしてもスピードが戻らないことが、大森の気持ちを落ち込ませた。
 山中監督が「内蔵に異変があるのでは」と疑い、検査を行ったら肺炎が判明した。原因がわかれば治療もできる。秋には徐々に上向き始め、11月のクイーンズ駅伝では1区区間5位で、チームの5位入賞に貢献した。12月にはハーフマラソンで1時間10分18秒の自己新もマークしている。
 今年3月の名古屋ウィメンズは大腿骨骨膜炎で出場を回避したが、春から夏にかけては「初めて故障なく練習を継続できた」(山中監督)という。大森も「色々な人の支えと励ましがあってここまで戻って来られました」と明るい表情を見せた。今は「格好悪い自分も、這い上がろうとしている自分も見て欲しい。同じように伸び悩んでいる人たちに、勇気を与えられたらうれしい」と話せるようになった。
 17年に入社した大森は、19年9月のMGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ。東京五輪代表3枠のうち2人が決定)に出るために、19年1月の大阪国際女子と4月のロッテルダムとマラソンを連戦した。ともに2時間29分台で出場権を得ることはできなかった。
 山中監督は当時との違いを「時間がなかったのでハーフも走らず、いきなりマラソンをやるしかなかったのですが、今回は経験を積み、持ち味のスピードを生かす大森のスタイルでマラソンに挑戦していきます」と話す。
 東京レガシーハーフマラソンで1時間10分前後で走り、11月のクイーンズ駅伝ではさらにスピードを研く。そのステップを踏めば次回のマラソンでは、1時間10分前後で中間点を通過できるだろう。
 MGC出場資格は大会グレードと順位によってタイムは異なるが、大会や順位に関係なく2時間24分00秒以内を出せば1回で得られる。そこに向かうプロセスの大森が、特徴であるスピードや大一番の強さを発揮すれば、ハーフでも大幅な自己記録更新もあるかもしれない。


TEXT by 寺田辰朗

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