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110mハードルでワンツー。順大の先輩後輩が世界陸上決勝の先陣争い

【日本選手権レビュー⑥】
ともに故障明けながら泉谷は13秒21のセカンド記録日本最高、村竹は予選で学生歴代2位の13秒27

7月の世界陸上オレゴン代表選考会を兼ねた第106回日本選手権(大阪市ヤンマースタジアム長居)。男子110mハードル決勝は大会4日目の6月12日に行われ、東京五輪代表だった泉谷駿介(住友電工・22)が13秒21(-1.2)で優勝し、村竹ラシッド(順大3年)が13秒31で2位に続いた。2人とも決勝時点で世界陸上参加標準記録(13秒32)を突破済みで、日本選手権3位以内の基準をクリアして代表に内定した。
 泉谷と村竹は順大で2学年違いの先輩と後輩。実績では昨年13秒06(+1.2)とシーズン世界リスト5位タイの日本記録をマークし、東京五輪でも準決勝に進んだ泉谷が一歩リードしているが、村竹も先輩に劣らない成長を見せている。2人が刺激し合うことで、世界との距離を縮めていける期待の種目だ。

●先輩の貫禄を見せた泉谷

泉谷が先輩として一歩先を行くレースを見せた。1台目で髙山峻野(ゼンリン・27)を少しリードし、ハードルを越える毎に差を広げていく。5台目で村竹が2位に上がったが、泉谷に明らかに迫ったレースではなかった。
 危なげなく勝ちきった印象だが、予選で村竹が13秒27(+0.5)の自己新を出したときは「予選から27はビックリしました。気合いが入りました」と、泉谷も後輩をかなり意識した。決勝では村竹が2レーン外側だったが「結構来ているのがわかりました。この辺にちょろっと見えましたから」という。
 それでも後半の泉谷が、慌てて走りやハードリングを乱すことはなかった。大会の雰囲気は違うが、東京五輪準決勝で何台もハードルにぶつかって決勝進出を逃したときとは、落ち着きが大きく違った。
 レース直後には「やっぱりうれしい気持ちも、安心した気持ちもあります。(3位でも代表に内定したが)1位で内定できたことはやはり違います」と率直な感想を話した。
 13秒21は金井大旺(当時ミズノ。昨シーズンで引退)の13秒22(+1.2。21年日本選手権)を上回り、セカンド記録の日本最高記録である。泉谷の大会前のセカンド記録は13秒28(-0.2)で、村竹が昨年の日本選手権予選で出した自己記録(13秒28・+0.5)と同じだった。予選で村竹が13秒27を出したことで、わずか1日という期間だったが2人のセカンド記録が並んでいた。
 実は昨年の日本選手権でも村竹が予選で13秒28を出したとき、村竹が学生記録保持者になった。翌日の決勝で13秒06と泉谷が大幅に更新し、今年のセカンド記録と同じパターンだった。泉谷本人は意識していなかったかもしれないが、後輩に記録を抜かれたり並ばれたりしても、抜かれてもすぐに引き離してきた。村竹の好成績は、泉谷にとっては歓迎すべきことだ。
 世界陸上の目標は「準決勝で良いレースをして、東京五輪で果たせなかった決勝に進むこと」だ。一方の村竹も「世界陸上はチャレンジャーとして、予選、準決勝とも良い走りをして決勝進出を目指します」と目標を設定した。
 予選と準決勝はおそらく違う組になる。オレゴンのトラックで2人がどんな刺激を与え合うのか、注目したい。

●浮き沈みを繰り返しながらも確実に成長する村竹

今年の日本選手権は、泉谷も村竹も故障明けのレースだった。泉谷は4月29日の織田記念予選(雨の中で14秒10・-1.3)を走ったが決勝を棄権し、その後試合に出ていなかった。村竹は5月8日のゴールデングランプリ(GGP)で13秒34(+0.1)と標準記録に0.02秒まで迫ったが、関東インカレを欠場していた。
「GGP前から腰や脚に軽い痛みがあったのですが、GGP後に左のハムストリング(大腿裏)に痺れが出て、とにかく動かないようにしていました」
 日本選手権の2週間前に練習を再開し、ハードルを跳ぶことができたのは前週の土曜日だったという。日本選手権で標準記録を破るつもりだったが、それが予選になるとは本人も思っていなかった。「13秒4くらいで気持ち良く行ければ」という感覚で走ったが、「中盤から良い感じでスピードに乗った」ことで13秒27を出した。
 準決勝(13秒50・-0.4)は5台目で明らかにバランスを崩した。「スピードが上がりすぎた」ことが原因だったが、「いつでも自己新は出る予感」がした。
 故障明けでもここまで状態が良かったのは、1年間のトレーニングの成果だった。昨年の日本選手権で村竹は、予選で13秒28と東京五輪標準記録を破りながら決勝はフライングで失格した。「去年は自分が、オリンピックに出るところに来ていると思えなかったんです。周りの環境が一気に変わって、それに対応できなかった」と、地に足がついていなかった。
 そこからの1年間で、「自信になる練習を積み重ねてこられた」と、明言できるまでになっていた。故障明けでも標準記録を突破できたのは、納得できるトレーニングを積み重ねたことが一番の要因だった。
 今年の日本選手権は1年前の悔しさを晴らすため、代表入りすることだけを考えていた。「復帰してすぐの状態なので、泉谷さんに勝てる気はあまりしませんでした」と勝負はそれほど意識していなかった。セカンド記録で泉谷を上回ったことも、おそらく気づいていなかっただろう。それよりも「予選と準決勝で得られた感覚を大事にして、世界陸上内定をつかみ取る」と、自身の技術や感覚に集中していた。
 昨年は学生記録、今年はセカンド記録と、村竹が泉谷に並んだり超えたりしてもすぐに引き離された。だが学年毎の自己記録では、泉谷が大学2年時に13秒36(当時日本タイ)だったのに対し、村竹は13秒28だった。3年時は泉谷の13秒45に対し、村竹は今回の13秒27である。
 フライング失格や故障があって落ち込む時期もあったが、シーズンベストは毎年上がっている。コロナ禍で開催中止が相次ぎ、国際大会の経験が少ないのは事実である。だからこそ、決勝進出が目標でも守るものはなく、チャレンジ精神に徹することができる。
 昨年の東京五輪では19年世界陸上経験選手で、当時大学4年の田中希実(豊田自動織機)と大学卒業1年目の橋岡優輝(富士通)が入賞した。シニアの世界大会未経験者でも、当時大学2年の三浦龍司(順大)と大学3年相当の廣中璃梨佳(JP日本郵政グループ)が入賞した。
 今年その再現ができるポジションにいるのが、泉谷と村竹の順大先輩後輩コンビである。

TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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