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2021年12月12日放送「風をよむ真珠湾攻撃から80年」

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7日、アメリカ・ハワイで、旧日本軍による真珠湾攻撃の犠牲者を追悼する式典が開かれました。

米海軍カルロス・デルトロ長官 「私たちは偉大な世代の犠牲の上に成り立つ。平和と安全を手放すことは決してしません」

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太平洋戦争のきっかけとなった真珠湾攻撃。1941年、現地時間の12月7日朝、旧日本軍による奇襲で、アメリカ兵らおよそ2400人が亡くなりました。

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ルーズベルト大統領「12月7日は“屈辱の日”として記憶され続けることになる」

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「リメンバー・パールハーバー、真珠湾を忘れるな」の大号令のもと、対日戦へと突き進んだアメリカ。

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そして真珠湾攻撃の2か月後の1942年2月、ルーズベルト大統領が署名した大統領令によって、日系米国人は「敵性外国人」と見なされ、およそ12万人が各地で強制収容されたのです。

「ダニエル・イノウエ」就役式典

その真珠湾攻撃から80年の今年、新たな動きがありました。

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8日、真珠湾で、アメリカ海軍の新しい駆逐艦「ダニエル・イノウエ」の就役式典が行われたのです。

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2012年に亡くなったダニエル・イノウエ氏はハワイ出身の日系2世。真珠湾攻撃後、日系人部隊で戦い、右腕を失う大けがを負います。戦後は50年に渡って上院議員を務め、日米友好に尽くしました。

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日系人の名前が海軍の艦艇に付けられるのは初めて。しかも真珠湾で就役した駆逐艦に日系人の名がつけられることは、日米関係に象徴的意味を持ちます。

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7日、ワシントンの第2次大戦記念碑を訪れたバイデン大統領も「過去の敵が、親しい同盟国に変わった」と、真珠湾で開かれた式典にメッセージを寄せたのです。

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こうした日米の「和解」は、今、多くの場で見られます。例えば、こちらのハワイの小学校では…

先生「Q.この人、誰だったかな?」 生徒 「ゼンジ・アベ」

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授業で使われる本に載っているのは、真珠湾攻撃で敵同士だった阿部善次さんとリチャード・フィスクさんが戦後、お互いに交流を深めた実話です。
       
小学3年生「敵だったとしても、友だちになれることが分かりました」

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子供たちだけではありません。追悼式典に出席した生存者からも…

真珠湾攻撃の生存者 フランク・エモンドさん(103)「日本人とはうまくやってるさ。戦争は当時の指導者や政治家が起こしたことだよ」

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そうした中、当時、真珠湾攻撃を体験し、その記憶を語り継ぐ人もいます。地元の大学で講演を行うミッキー・ガニーチさん。

ミッキー・ガニーチさん「責任ある行動を通していい国、いい世界にしてください」

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爆撃で29人が死亡した戦艦ペンシルベニアの乗組員だったガニーチさんは、多くの仲間が戦死する光景を目の当たりにしました。

しかし、当時の真珠湾の記憶を語ることのできる生存者は、高齢化が進み、現在、全米で70人余りに減ったといいます。

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そして、こうした記憶を語り継ぐ難しさは、日本でも同じです。                 

黙祷

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8日、太平洋戦争開戦から80年に際し、長崎市で被爆者らによって不戦と平和を誓う集会が開かれました。

被爆者 森口貢さん「戦争っていうのは、どんなに悲惨であるのかということをもっともっと伝えたいんです」

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こうした記憶の伝承に取り組んできた戦争体験者がいます。長年、核兵器廃絶を訴え、今年10月に亡くなった坪井直さん。

坪井直さん「あきらめるなよ、ネバーギブアップ」

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そして、その思いを引き継ごうとする若者がいます。大学3年生の高橋悠太さん。

KNOW NUKES TOKYO 高橋悠太さん(21)「これは私が中学校3年生の時に被爆者の坪井直さんから聞き取りをして、それをまとめた冊子です」

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当時、5時間に渡って聞き取りを行い、冊子にまとめた高橋さん。それをきっかけに今、平和や核廃絶の運動に取り組んでいます。

KNOW NUKES TOKYO 高橋悠太さん(21)「(坪井さんは)憎しみの感情を押し殺して、異なる立場の人たちとこそ対話を重んじるという精神をずっと大切にしてきた。忘れてはならないことだし、未来につながなきゃいけない。でも、80年前の戦争や原爆投下は忘れ去られようとしている。正直に言えば、それにはすごく焦りもある」

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真珠湾攻撃から80年。戦争を体験した「戦前・戦中生まれ」は、国民の16%。しかも、その数が年々減りつつある中、戦争の記憶を語り継ぐことは容易ではないのです。

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