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私がnoteに綴ること

フリーライターをやる、ということに決断はあまりいらない。
もちろんこれは、オカネが稼げるか、という点に目を瞑れば、という条件付きの話で、現実にこれで生計を立てようとすれば、会社勤めであったときに比してしゃかりきに書く必要があるし、それなりに業界内での信用とでもいえばいいか、コネクションのひとつやふたつ、持っておかないと手始めの仕事がまず来ない。
そういう類いのものがないなかでも、やるか、と決めるのは、モノを書いて公表することより他に社会と関わる方法を持たないからで、村上龍の著書『13歳のハローワーク』に書いてあった、「作家は人に残された最後の職業」というフレーズが、今更ながら重くのししかかってくる気持ちで、「書いてるひとは作家なのに、へんくつだなあ」と考えていた子どもの頃から、すっかり認識を改めてしまった。

僕自身は、ライターとしてのキャリア自体が短くて、二回ばかり記者をやったが、それを合わせても1年になるかどうかというところで、直近は駆け出しの経済記者だったが、体調を崩して、記事が書けないようになって、辞めてしまった。3ヶ月、6ヶ月と経って、ようやく、以前ほどではないにしろ、書けるようになってきたな、というところで、いよいよ次のことに取りかかろうと床をたたんで重い腰を上げ、小さな窓から世の中を見てみると、新型コロナだなんだという騒ぎで、全く異なる様相になっていた。

書き物の資料を探しに出かけていた地元の図書館は完全にサービスを停止して、それじゃあとばかりにコソコソ通った大学図書館も閉館しているので、本探しさえなけなしの財力にかかることになってしまって、社会としての持久力の無さに文句をいうことはさておいて、「これはいい加減、なんかしろ」ということなんだと考えて、しかし個人で出来ることは多くないので、ひとまず、物書きとしての原点で、取材と執筆を、ぼちぼちと始めようと思います。
書く内容は、あまりに散漫でもいけないので、「生活」を軸にするつもりでいます。これは自分のクセで、そこから敷衍していかないと大きな物事でも本質を見えないように思うからです。生活が満ち足りていないと、いろいろと都合が悪くなる、という実体験によるところもあるのだけど。

ひとまず、自分語りは、こんなところで、ふとしたときに読んで貰えたらと思います。そんなに肩肘はったことを書くつもりはないので。
では、また。

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