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日本在宅救急医学会の道のり③

研究会設立 ー宿命的に持った日本在宅救急研究会の課題と野中博先生ー

満を持して、私たちは、日本在宅救急研究会の設立を決める第一回世話人会を開催しました。2017年4月8日でした。横田先生が代表世話人に就任されてから2か月余りの短期間で準備を整えました。ここでは、この研究会が何を目的とするのかという「研究会発足の趣意」を世話人全員で決定し、定款策定の基にする。そして、それをもっていよいよ研究会設立を宣言することを目的としていました。ホテルの会議室にすべての世話人が集まり、代表世話人の挨拶から、世話人会が始まりました。続いて、それぞれが自己紹介をし、私がなぜこの研究会を作ろうと考えたのかを説明しました。そして、横田先生の司会で、「研究会発足の趣意」を話し合い始めたときに、思いもよらない、この研究会が生まれながらに抱えている課題が露呈したのです。この課題とは、何なのか?私たちがどうやってそれを乗り越えてきたのか?これを書きたいと思うのですが、これについて書こうとすると、悲しい思い出に私は包まれてしまい、どうしても書き進めることができませんでした。そのため、以前に書いた、以下の文章を掲載することで、この役目を少しでも果たしたいと思います。

追悼 野中博先生
一般社団法人日本在宅救急医学会設立と野中博先生

(中略)

第一回世話人会は始まりました。この研究会をどのような会としていくかを決める大切な会議です。会議室の中でテーブルは「コ」の字型に配置されていました。「コ」の字型の真ん中のテーブルの中央に、代表世話人の横田裕行先生、向かって左に会田薫子先生、そして向かって右に野中博先生に着席していただきました。この3名は、研究会の中心となる方々です。そして、司会から「先生方、お好きなお席にご自由にお座りください」とアナウンスがありました。私は「コ」の字型の右翼(真ん中のテーブルから見て)に、話しやすいように照沼先生は左翼に着席しました。そのあと、救急・在宅の先生方がそれぞれ4-5人ずつ会議室に現れました。そうすると、指定はしていないのに、救急の先生は私の座る右翼に、在宅の先生は照沼先生の座る左翼に自然と席を取るのです。全員がそろったときには、完全に救急医の右翼、在宅医の左翼に分かれてしまいました。そして、それを繋ぐ真ん中のテーブルに、代表の3人が座るスタイルです。会が始まった時、これが何を意味しているのか私は気付いていませんでした。しかし、この研究会をどのような会にしていくかの議題の討論が始まったのち、私はこの研究会が宿命的に抱えている、大きな課題に気付いたのです。

私と照沼先生はこの研究会発足の趣意を「在宅医と救急医が同じテーブルについて、地域医療構想を話し合うこと」としていました。それを世話人の先生方にご承認いただいて、それでは「我々が構築すべき地域医療とはなにか?」を話し合った時のことです。最初、救急医と在宅医でその意見は全く歩み寄ることができませんでした。この現象を私と照沼先生は全く予測できておらず、困り果てました。救急医は、「救急医療こそが地域医療の要である」と自負して譲りません。在宅医は、「在宅医が地域医療を底辺で支えている」とプライドを持っています。救急医は「何を犠牲にしても命を救うことが医療の正義である」と信じて主張するのに対して、在宅医は「命そのものよりも、いかに人生を豊かにすることが大事である」と譲りません。さらには、以下のような議論もありました。在宅医が長いこと自宅で患者さんを診ていたが急変し、入院治療が必要だと在宅医が判断して病院に治療を依頼すると、必ず在宅医が嫌な思いをするというのです。それは病院医(救急医)から「あなたたち在宅医が診ていて、なぜこんなに悪くなるまでほっといたのか?あなた方は本当に医者なのか?」というようなことを言われる場合がある。病院医(救急医)からのこのような対応は在宅医としては誠に心外である。「在宅医はできるだけ患者さんが希望する自宅での治療を続けてきているのだ。ほっといたのではなく、よく、ここまで自宅で頑張った。」と考えて欲しいと在宅医は主張します。それに対して、救急医は笑うだけでした。このような様相で、私は、「この会はもともと成立しないのかもしれない」と感じてしまいました。なんとか打開しようと頭を必死に捻りましたが言葉が出ません。救いを求めて照沼先生の顔を見ましたが、先生も困惑しているようでした。

その時に、野中先生が声をあげられたのです。「あなた方は、誰のために医療をやっているのでしょうか?救急医は救急医療のためですか?在宅医は在宅医療のためですか?もう一度、考えてみてください。皆さんは患者さんのために一所懸命に医療をされているのですよね。そこに立ち返って、議論しませんか」。この言葉で会場の雰囲気は変わりました。目の前に広がっている濃い霧のために行く先を見失っていた在宅医と救急医がそこにいました。そこへ、力強い風が吹いてきて目の前の濃霧がサッと流れ急に視界が広がった感覚を皆で共有しました。初めて、みんなが共通の目標を得た瞬間であったと思います。「私たちが目指す医療、それ自身がまだわからない。それを考えるところから始めませんか?」それが最終的に第一回世話人会で至った我々世話人の結論になったのです。それを受けて、研究会発足の趣意書はその場で以下のように書き直されました。

日本在宅救急研究会は、在宅患者が急性増悪したときに生じる問題を在宅医療に関わるスタッフと救急医療に関わるスタッフとが同じテーブルについて検討することで、在宅患者にとって“本当の良き医療”の構築を目的とする。

この趣意書を持ちえたことは、我々学会員の誇りです。私はいつもこの言葉を自分に問いかけます。「お前の行動は、本当に患者さんのためを考えているか?自分や病院側の都合で医療を捻じ曲げていないか?」そのたびに、あの時の野中先生の優しくもまがい物を決して見逃さない厳しいお顔が目に浮かんできます。野中先生のお言葉は私の心に確かな重量感をもって残り続けています。

(中略)

私たちは野中博先生という、偉大な先達を失ってしまいました。しかし、野中先生が日本在宅救急医学会に残された業績は、学会自体がなくならない限り失われることはありません。当学会は、野中先生が遺してくださった「患者さんのための“本当の良き医療”を目指せ」というポリシーを得たことで初めて確立されました。そして、その言葉は今や私たち学会員全員の医療者としての心の道標として昇華され、焼き付いています。野中博先生は、日本在宅救急医学会とともにあるのみでなく、我々医療者の心の中で今でも生き続けています。私は野中博先生の言葉を胸に、先生によって立ち上がることができた日本在宅救急医学会の発展のためにこれからも力を尽くしていきたいと思っています。野中博先生、本当にありがとうございました。これからも、我々をお支えください。

2020年10月15日

日本在宅救急医学会 発起人・理事
小豆畑丈夫

http://zaitakukyukyu.com/img/20201223-2.pdf


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