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憧れの街

憧れの、オーストラリアはメルボルンにあるブライトンビーチの小屋たちに似ているように見えた。
紛れ込んだこの街は憧れの街だったか、とまた思う。
即裏手の高台に閉まっていたがお寺がありそこを目指した矢先に見つけたなんとも澄んだ空気真横のメルボルン。
少し離れて周りを見渡せば海ではなく山が聳えている。
ここは、、なんだ。
遠くの山々の頂上が空との境目。
地平線までは見えなくとも空は存分に存在感を示していて、お寺の緑も山の緑もすべて同じところから起き上がってきた匂いを否めない気配だ。
今一度言っておくけれど、わたしは日本在住だ。
ただの一瞬でも憧れの街がここに見えてしまい、到達したかのように思えてしまい、思いたくもあったのかもしれないという惨状の傘下にいるただの日本在住だ。

ここはメルボルンではない。
みんなの憧れ(勘)恵比寿、中目黒、吉祥寺でもない。
山の見える街、だ。
ほとんどの人が車で移動していて、歩いたり自転車に乗っている人は限られている街、だ。

それはある意味憧れだ。車保持者になれるのかしらん、という全く予定のない予予定を浮かばせながら徒歩で誰も歩かない街をスケボーに乗る少年に抜かされながら歩いている。

そうか、ここは憧れの街だったのか。
そうなのかもしれない。
到達しているのだとすれば、何も悲観する必要がなくなる。
ここは憧れの街なのだろう。

明日もどうか健やかに。

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