見出し画像

ルビの魔法で「わたし」を救おう

何を隠そう私は、無花果や百日紅や秋刀魚が好きである。

と言っても、それらの果実や花や魚への興味というよりむしろ、当て字ならぬ「当て読み」とも言えるそれらのチャーミングな魅力に興奮しっぱなしのメロメロなのである。

「無花果」と書いて「いちじく」と読むなんて、どんな因果で、何がどう転んでそんな素敵なことになったのか、分からないし調べる気もないけど、その字面を目にするたびにニヤついてしまうほど愛しい。

今日も運転中にたまたま「無花果」の文字を目にして目尻をりダダ下げにしていたところ、ある予感にとらわれた。

これは、「わたし」を救う魔法として機能するのではないか。

おっと予感が先に来たので、わけがわからない。

ハンドルを握りながら、少しずつ予感の出自を解明しにかかる。

まず「いちじく」という名前がある。

さらに、その植物の特徴を描写する「無花果」という漢字の羅列がある。

そして、その二つが一体化してを成している。

特に根拠があるわけでもないし、すごく乱暴で申し訳ないけど

訓読み(和語?)≒具象

音読み(漢語?)≒抽象

というような感覚を私は持っている。

さらに漢字からは呪術的な何かを感じる。

きっとかつてもっぱら呪術に使われていた甲骨文字をルーツに持つことも背景にあるだろう。白川静の「サイの発見」についての文章も、すごく興奮して読んだ覚えがある。説文解字以来の中国における「口」の伝統的解釈を、一日本人が覆したとか衝撃的すぎるからみんなも読んでみてほしい。 

何が言いたいかというと、

「無花果」に私がいつも興奮するのも、その呪術性のせいではなかろうか。

ということである。

無花果は、漢字が純粋に意味のみを表していて、音が漢字から引き剥がされている、という点において、他の語と決定的に異なる。

しかも、その漢字が描写しているそのモノの名前が、音である読みとして当てられているのだ。

これは、自己暗示的に自分を救い出す魔法になるのではないか。

具体的に言うと、

自身の思い描く自身の姿、ありようを、まず漢字の羅列によって描写する。別段、誰かに見せるわけでもない。自分の理想や憧れを、存分に込めていい。

試しにやってみよう。

この時、漢字の読み方(音)は一切考えなくていいし、どんな漢字を使ってもいい。ただあまり長くない方がいい。

自分の好きな漢字を羅列したら、そこにルビを振る。

ちなみに「たざきけん」は私の名前である。

ルビとして振るのは、自分を自分と同定する音(読み方)であればいいので、一人称(わたし、ぼく、おれ等)でもいいし、氏名でもいいし、結婚をきっかけに名字を奪われた感覚が消えない人は旧姓でもいいし、下の名前だけでもニックネームでも筆名でもいい。

どうだろうか。

やってみると分かるが、不思議な充足感に満たされる。

まるで祈りが成就したかのような、多幸感に包まれる。

たかだか漢字にルビを振っただけの詐術ではないか、と侮るのは自由だけど、勝手に漢字に好き勝手なルビを振って、ニヤつくのもまた自由だ。

思い出したことがある。

北海道浦河町に「べてるの家」という、精神障害を持った人たちの地域活動拠点がある。

べてるの家には面白い取り組みがたくさんあって、そのひとつに「自分の助け方」として、「自己病名」というのがある。

医師の診断名ではなく、自分で自分の病気に名前を付けるのである。「精神バラバラ状態」、「統合失調症金欠ウォーキング型過去引きずり女タイプ」、「人生の方向音痴症候群感情時差ぼけタイプ」、「教育ママ乗っ取られ暴走型いきづまり爆発タイプ」、どれも生き生きしてて、病名特有の十把一絡げな暴力性を無力化することに成功しているように感じる。

ルビの魔法も「自己病名」に近い。というか、アプローチの違いだけで、やってることはほぼ同じだ。能力と障害なんて時代や環境によって容易に裏返る。自分を個別に描写することで、「自分を助ける」ことができると私は思っている。

だがひとつ注意しておきたい。

お気づきの人もいるかもしれないが、ルビの魔法は「呪い」としても間違いなく機能する。

思いつく限りの呪詛の言葉を漢字に託して、そこに呪いたい相手の名前のルビを振るのだ。

私としては、そんな使い方は、できればしないで欲しい。

どんな呪いもそうだが、呪われた側だけでなく、呪う側もただでは済まないから。

そしてせっかく思いついたルビの魔法を、「呪い」よりも「祝い」に活かしてほしいと、切に願う。

「あなた」がどんなルビの魔法をかけたか尋ねるなんて野暮なことはしない。

でもきっと「呪う側」がただでは済まないのと同じように、「祝う側」にも何らかの変化が起きることを期待してやまない。

お金もかからない、特に「副作用」もない、DIYのルビの魔法。

ぜひ試してみてほしい。

いつもご覧いただきありがとうございます。私の好きなバスキング(路上演奏)のように、投げ銭感覚でサポートしていただけたらとても励みになります。