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ゴチャ庭めぐりのすすめ④

「ゴチャ庭」とは「ゴチャゴチャした庭」、つまり「家の庭先にプランターや植木鉢が無秩序に多数置かれた状態」のことだ。ーゴチャ庭巡りのススメ①
ゴチャ庭の魅力、それは秩序と無秩序、意図と偶発、意識と無意識、人為と自然、そうした二項のあわいをたゆたう曖昧模糊とした美である。ひとつひとつの営為は意図的であっても、それらが時間を経て堆積していくごとに、限りなく無秩序へと近接していき、そこから解釈不能な美が立ち上がるのだ。ー ゴチャ庭巡りのススメ①

夏のうだるような暑さがやわらぎ、ゴチャ庭巡りにはぴったりの季節がやってきた。私は今日も歩いてゴチャ庭巡りに繰り出した。

ゴチャ庭巡りの経験を重ねるにつれて、いくつかのことがわかってきた。

①ゴチャ庭は変化する

2枚の写真は同じゴチャ庭の5月の様子(下)と9月の様子(上)だ。雑草の繁茂具合、光の加減、プランターの増減など、ゴチャ庭は短い時間でも姿を変える。同じゴチャ庭でも何度も回ってみると、ゴチャ庭の変化が堪能できる。

②ホットスポットがある

これらのゴチャ庭たちはすべて、たった半径100メートルほどの狭い地域内で撮影されたものだ。虫や植物の観察と同様、ゴチャ庭が群生しているホットスポットがあるようだ。原因は地形か気候か風水か、何にせよホットスポットに足を踏み入れると、「ここはあるな」という予感がある。

③ゴチャ庭でなくなる場合がある

かつて訪ねたときは極上のゴチャ庭であったのに、次に観た時には整然とした「庭先」に堕している場合がたまにある。管理者の交代か、見かねたしっかり者が手を入れたか、何にせよゴチャ庭が失われるのは哀しい。常に消え失せる可能性を念頭に置いて、目の前のゴチャ庭を慈しむ。

④ゴチャ庭は遍在している

ホットスポットが存在することは、ゴチャ庭が全く存在しないエリアがあることを意味しない。全くゴチャ庭の気配や予感を感じない新興住宅地、ビル街、国道沿い、商店街にも、ゴチャ庭はたくましく生息している。孤高のゴチャ庭を見つけたときの興奮は、ホットスポットのそれとはまた違って格別だ。

今のところゴチャ庭巡りは徒歩圏内に限定しているが、未開拓の狭い路地に入るたび、極上のゴチャ庭に出会える期待から胸が高まる。

そして出会えた素晴らしいゴチャ庭を眺めていると、生の一回性や宇宙レベルのカオスや人間の愛おしさがないまぜになった、温かい液体に浸されたような多幸感に満たされる。

私のゴチャ庭めぐりはつづく…

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