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中国語 できてよかった Best3

大学から学び始め、中国現地での留学、駐在を経て、私は中国語を習得した。

レベルとしては、3分間なら外国人(老外)とバレないくらいのもので、3分を過ぎたあたりからカラータイマーが明滅し出し、少しずつボロが出る。

中国語ができると、世界の見え方は大いに変わる。何語でもそうだけど、日本と関係の深い中国語は別格だ。

そこで今日は「中国語 できてよかったBest3」と題して、私の中国語人生において心から「中国語やっててよかった…」と感じた瞬間をランキング形式で紹介してみる。

ちなみに「中国語で現地ディーラー向けにプレゼンした」とか「紅楼夢や三国演義を原文で読破した」とか「中国語のメディアから情報が得られる」とか「中国のテレビ番組に出演した」とか(ぜんぶ本当だけど)、いわゆるスキルオリエンテッドなエピソードは全く出てこない。ごめんなさい。

第3位

麻雀のワードを正確に発音できる

麻雀を嗜む人にはお馴染みだが、麻雀に関するポン、チー、カン、ピンフ、タンヤオ、マンズ、ソウズ、ピンズなどの用語は、全て中国語由来である。

なぜか麻雀に関しては漢字を日本語読みせずに、カタカナ読みするのが面白い(大三元や国士無双のように日本語読みも一部ある)。

中国語の正確な発音を身につけたことで、なんとなくのカタカナ読みを正確に発音できるようになった。

例えば、みんなが憧れる役満

九連宝燈(チューレンポートン)

この場合、ピンイン(発音記号)表記に直すと、「Jiu3lian2bao3deng4」となる。

とはいえこうやって書いてもイメージ湧かないので録音した音声をどうぞ。

うむ、録音していても楽しい。

とはいえ私も最近は中国に行くこともないし、中国で麻雀することもないので、これが何かの役に立つかと言われれば、まあ何の役にも立たない。

だが最初にお断りしたように、あくまで私が「できてよかった」と感じるかどうかが基準なので、役に立つかどうかなど些末なことだ。


第2位

寝台列車で乾杯、そして泥酔

あれは中国留学中、長期休みに時間を持て余した私は、友人を誘って国内旅行に繰り出した。

留学先の山東省の済南から寝台列車を乗り継ぎ、雲南省の昆明を目指す。合計60時間に及ぶ電車旅は波乱の連続で、腹を下す度にミャオ族の秘薬に助けられ、途中重慶で乗り換え。

昆明行きの寝台列車(三段になった粗末な寝台列車)に乗り込むと、お向かいの乗客と意気投合。中国版の大貧民で共にトランプに興じ、盛り上がってくれば勢い酒が入る。硬い寝台に向き合って腰掛けながら、「日本の友人に、乾杯!」。高度数の白酒で何度となく杯を交わす。

目的地の昆明に着いた頃にはベロベロのヘベレケで、まっすぐ歩けない状態だったものの、嫌な酔い方ではなく、なぜだかわからないけど「嗚呼、中国語やっててよかった」と酒臭い息を吐きながらニヤニヤしていたのを思い出す。

第1位

少年野球で救世主に

長男が所属している少年野球チームに、中国はハルピンから来た少年が新たに入ったことは、なんとなく聞いてはいた。意思の疎通が全くできなくて、コーチやチームメイトが困り果てていることも。

ある練習日、私が中国語の使い手だということ聞きつけたチームメイトの保護者から、悲鳴に近い依頼が来た。なんとかしてほしい。

グラウンドに向かう。

チームメイト、その保護者、コーチが困り果てて立ちすくむその中心で、彼は俯いて座っていた。かすかに覗くその表情は、噛み潰し過ぎてディップ状になった苦虫のやり場に困っているようで、ただ虚空の一点を睨み付けていた。

つかつかと歩み寄って、声をかける。

「能听懂吗?(聞き取れる?)」

奇跡が起きた。

誰の呼びかけにも全く応じず俯きっぱなしだった彼が顔を上げた。

私をまっすぐ見つめるその表情は、口内の苦虫ディップが一瞬にしてマロンペーストに変わったかのような、甘い安堵に満ちていた。

周りを取り囲む大人たちは、まるでキリストが奇跡を起こしたかのように、あんぐりと口を開けながら歓喜していた。

ゆっくりと話を聞く。

親の事情で突然日本に来たこと。日本語がまるでわからないこと。日本語名はユウタだけど、慣れないこと。血の繋がってない日本人の父親は中国語が話せず、父子で意思の疎通ができないこと。野球が何もわからないこと。

そして、寂しくて不安なこと。

五分ほどの会話を終えると、ベンチにネジ留めされてたかに見えた肥満気味の身体は軽やかに立ち上がり、チームの輪の中に歩いて入っていった。それを合図にチームメイトはグラウンドに散らばり、トスバッティングとノックが始まった。

その中でユウタは、コーチに身振り手振りで教わりながらグローブをはめキャッチボールを始めた。

「仕事」を終えた私は帰りの車内でひとり納得した。

私の中国語は、ユウタのためにあった。


あれから3年の月日が流れ、ユウタはネイティブ並みの日本語を操り、中学でも野球部に入り、2年になった現在、経験者として先輩風を吹かしているらしい。

わからないものだ。

たまに中学校でユウタを見かけるたび、私はいつも心の中で中国語で激励する。

「加油!(がんばれよ)」






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