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ダムの底を歩く

ダムの底を歩いた。

20年に一度の定期点検らしく、いつもは水を湛えたダムの底があられもなく露出してて、しかもどこからでも降りていける。

一緒に行ったイトが行きたいとせがむので、普段は水面に浮いてる、今は底に当たって傾斜している橋をつたって、底に降りた。

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二人でさんざん探査をした。足跡も遺した。

イトは目にしたものを次々に拾う。瓶の割れ端、茶碗の残骸、かつてペットボトルだったもの。

私は足を取られるぬかるみも、イトは軽やかに歩き抜ける。でも無印で買ったばっかりの白い靴はもうドロドロ、イトは我関せずで先々歩く。

細い細い水の流れを跨ぐにも、イトには一苦労で、手頃な流木を橋に見立てておいてみても、朽ちててあっけなく崩れた。

かつて沈んだ木も、かたちこそ残しているものの、そこそこ太い枝が素手で軽い力でぼきりと折れて、怪力になった気分が味わえて、無駄に枝を折ってはイトに怪力を見せつけた。イトは折った枝を欲しがった。

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世界の終わりみたいな、暗部のような、陰部のようなダムの底は、時間と風の流れ方が独特で、

いまだにお星様も虹の橋も天国もあの世もぴんと来ない、昨年五月にさよならも言わずありがとうも言えずさよならした母と、なぜか少しだけ繋がれた気がした。

damというより、damnだったのが逆に功を奏したりするのかもしれない。

時間ばかりが加速していく。


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