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おっさんバレエ奮闘記 Vol.1 「42歳おっさん、バレエはじめました」

2021年5月11日、私の個人的な年表があったなら、この日は必ずや太字でばっちり記載される記念日となるに違いない。

バレエ、はじめました。

のっけから冷やし中華的なライトさ全開で書いてみたが、順を追って私のバレエライフスタートまでの経緯を綴っておこう。

手のしびれ

先月(2021年4月)の頭あたりから、突如として右手をしびれが襲った。痛みや痒みではなく、しびれ、どうにも不気味で怖い。右手は商売道具である。初めての経験に不安が募り、整形外科を何軒もはしごしたところ、どうやら変形した第五頚椎と第六頚椎の間の神経が炎症を起こしているらしい。

対症療法的にわんさと薬を処方されたものの、肝心の原因については「積年のもの」としか教えてくれない医師。このままではたとえ今回しびれが収まってもいずれ再発するのは目に見えている。骨が変形しているならなおさらだ。

身体をなんとかしないと、とは前々から思ってはいた。

私は竹細工と音楽と中国語を生業にしている。どれも同じ体勢を続けることが多く、齢四十を過ぎお腹まわりも様子が怪しくなってきた。早いうちに何か手を打たないと筋力は致命的に衰え、体脂肪は加速度的に増えていく予感があった。

バレエとの邂逅

そんなある日、友人と食事をしながら昨今の手のしびれについて、そして姿勢の悪さや運動不足に対する危機感などを駄弁っていたところ、全く予期せぬサジェスチョンが。

バレエやらない?

なんでも近所の袖ヶ浦に新しくバレエ教室ができたという。しかもロシア帰りの若い女性が講師で、ご主人はロシア人でロシア語しか話せず困っているとか。

通常であれば42歳になるおっさんにこんな誘いをしようものなら一笑に付されるのがオチ、というかむしろジョークと捉えて笑われるか、場合によっては侮辱と見なして怒り出すか、何にせよなかなかアグレッシブなご提案である。

しかしさすがは私をよく知る友人、事実これは極めて正鵠を得たインフォメーションであり、案の定その場で「いいですね」と軽はずみに決意を固めた。固めるテンブル並の手軽さとスピードで。

灰人(グレート)な私

なぜバレエと縁もゆかりも無い、しかも通常のバレリーナならとうに引退している年齢である42歳の私にバレエを薦めることが「的外れ」ではないのか、それは私が灰人(グレート)だから、である。

灰人(グレート)とは、素人性と玄人性を兼備し、素人と玄人を架橋する存在のことである。

私は他でもない、玄人と素人を架橋する灰人(グレート)性によって、三児を育てつつ糊口をしのいでいる。竹細工も音楽も中国語もすべて灰人(グレート)、そんな私は、「バレエ」と聞いてピンと来た。

バレエは玄人と素人の二極化が進んでいる。つまり玄人から素人へのグラデーションが希薄であり、その間がごっそり抜けている。中途半端、生半可な人がほとんどいない、つまり灰人(グレート)の存在価値が相対的に高く、生業にできる可能性が非常に高いのである。

バレエへの適性はほぼゼロ

このように「生業にする」などと宣言すると、バレエを習うに資する経験やスキルや適性を備えていると思われがちだが滅相もない、ほぼゼロ、いやむしろマイナスに近い。

運動神経、特に瞬発力は絶望的。垂直跳びしてるつもりが、爪先が地面から離れていないくらい、重力に抗えない。走って人を追い抜いたためしもない。

柔軟性もひどい。前屈、開脚はもちろん、日本人ならできる正座も無理。アキレス腱も硬く和式便所で用を足せない。360度全方向的に関節の可動域に乏しい。

スポーツ経験としては、4歳から高校生まで泳いでいた以外は、中学で弱小バレー部にいたくらい。苦手意識を丹念に育む競争と評価ありきの体育授業のおかげで、スポーツ全般に対する心理的抵抗ばかりが大きく育った。何のための教育だろう。

ダンスや踊りの経験も皆無。かつて社会人になりたての頃、小劇場演劇をやっていた時にある公演でダンスシーンがあったくらい。盆踊りもチークダンスもからっきしダメ。

何かバレエに使える資質を絞り出すならば、ミュージシャンなのでリズムには強く、かつてオーケストラでヴァイオリンを弾いていたためクラシックにも明るい。また、学生時代にサンクトペテルブルクとモスクワそれぞれに1ヶ月滞在したことがあり、ボリショイ劇場とマリンスキー劇場で毎晩のようにバレエやオペラを鑑賞したのも経験としてはきっと大きい。

そして足首。

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ご覧の通り、私は足首が普通ではない。スネから足の甲にかけて、直線どころかむしろ足の甲にかけて下方向に傾斜している。実際のところはよくわからないが、「バレエ向き」と思われる私の唯一の身体的特徴は、この足首である。

なぜバレエなのか

姿勢改善や運動不足解消を目指すならば、バレエでなくてもいいはずだ。太極拳でもヨガでもフィットネスでもロッククライミングでもボクササイズでも事足りるはずである。なぜバレエなのか。

それは、私の中で知らず知らずのうちに育っている、「らしさ」とか「アイデンティティ」といったかりそめの「固定」に対する、ささやかな抵抗であり、加齢に伴い狭窄しがちな視野を無理くりにでも広げるための実践である。

そして、表層的なレジャーやエンタメでは済まされ得ない、私の日常や生活に根本的な変化を要請する“何か”でない限り、自分が変わっていくことは難しいという、経験的諦念も大きい。身体が変わるということは、日常が変わるということ。今までの日常を死守しながら身体を変えようなんて都合が良すぎるしその程度の変化には興味がない。

求めているのは、根本的かつ不可逆的な認識の転換、景色の変容、視野の拡張、そして身体の賦活である。

考えれば考えるほど、バレエしかない。

バレエを生業に

何年後になるか分からないが、バレエも私の生業にする。勘違いしないでほしい。私は灰人(グレート)である。既存のバレエダンサーやバレエ教室といった「玄人的アプローチ」では決してない。

他でもない玄人の持つ専門性や希少性のせいで、その業界が閉鎖性を帯び柔軟性を失い、果てに業界全体がシュリンクしていく、というケースはことのほか多い。私が生業としている音楽も手仕事もその傾向は非常に強い。

考えてみてほしい。

バレエに興味ある。ロシア帰りのトッププロの現役バレエダンサーに習いに行くほどではないけれど、42歳から始めた生半可なおっさんになら習ってみたい。

こんな人はいないだろうか。

社会人に関して言えば、むしろガチでやりたい人よりも多くいる、と私は踏んでいる。

おっと誤解しないで欲しい。専門性は素晴らしいし得難い。初回レッスンで隣りでキビキビクネクネと見事に動く、まるで全く別の生物のような先生を見て、そして全くそれについて行けない鏡越しの鈍重極まりない私の姿を見て、私は興奮に打ち震え、笑みがこぼれた。

磨き抜かれた専門性によってしか拓かれ得ない新たな世界が、確実にある。それは揺るぎない事実だ。

ただ私の適性も役割も宿命も、そこにはない。

これを認めきるのに時間がかかった。全き専門性に憧れがあった。だが今は迷いはない。そのおかげで、今回もこんなにも軽はずみにバレエを始められる。


42歳のおっさん、このたびバレエはじめました。

バレエによって私の日常や身体がどう変わっていくのか、この連載で逐一記録していきたい。どうか温かく見守って欲しい。

いつもご覧いただきありがとうございます。私の好きなバスキング(路上演奏)のように、投げ銭感覚でサポートしていただけたらとても励みになります。