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塗師屋になる決意

塗師屋になろうと思ったのは、大学1年生の時でした。
実は、ずっと全く違う夢を持って生きてきました。その夢が破れて、なんとなく大学に入り、どんな将来になるか全く見えないまま過ごしていました…

そんな時に、東京ドームのテーブルウェアフェスティバルを手伝うよう両親に言われ、なんとなく行ってみました。
輪島の家ではずっと職人が輪島塗を作っていて、両親や祖父母の会話も輪島塗を中心にまわっていましたが、全く興味がなく、自分の中ではただの輪島塗でした。
そんな輪島塗が、東京では皆さんに喜んで買っていただけるものであり、憧れと言ってもらえるものだったと言うことを知り、衝撃を受けました。

よくよく昔の記憶を辿ると、確かに輪島塗の機能性は抜群でした。身近にありすぎて何も思っていなかったのですが、見た目の美しさ、耐久性、質感、保温性、どれをとっても最高峰です。
これは東京に出て初めて、大きな家具屋さんで輪島塗以外の器を買い、使ってみて知ったことでもありました。

そこから輪島塗への興味が湧き、自分の家が輪島塗があったからこそ成り立ってきたことも知り、自分の生きる道はその輪島塗に恩返しをすることだと思いました。
ただ、両親は自分に継がせようと思って、展示会を手伝わせた訳ではなく、東京にいるコストのかからない営業マンとして使おうと思って手伝わせたので、最初は戻ることに反対でした。

平成3年(自分が生まれた年)が輪島塗業界の黄金期で一番売れた年でした。そこから業界の売り上げはどんどん落ち込み、今では平成3年の1/5に近づいています。
そんな厳しい時代だからこそ、両親は輪島塗をやることに反対でした。

それでも自分の意志は変わらず、なんとしても戻りたいと思っていました。
一番の大きな理由は、崇高なものではありません。
輪島塗をやらなくても自分は商売をすると思っていました。
でも、どうせ商売をするのなら自分が良いと信じているものを販売して、お客様にお喜び頂き、お金を頂くのが一番幸せだと思っていました。嘘のない本気の商売をしたかったです。
だから、輪島塗でした。

戻ってきてそろそろ4年ほどになります。
まだまだ難題は多いですが、初心を忘れず、一度決めた道、前を向いて進んでいくしかないと思っています!

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