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タクシー小話 5「たぶん、宝くじに当たった男」

 銀座の並木通りで年齢差のある男女が乗って来た。
 野暮ったく、四十そこそこに見える男性は見るからに高級そうなスーツが合っていない。
「本当にありがとね」
「おんおん」
 淡い色の服装に若くてほのぼのとした雰囲気の女性がお礼をすると、男は照れくささを隠すように返事した。

「これほんと、ずっと欲しかったの」
 乗車時、女性はCOACHの紙袋を手に持っていた。おそらくそれのことだろう。
「あとこれも、ありがとう。高かったのに」
 女性の手にはエルメスの紙袋もあった。
「おんおん」
「初めてじゃない?さとちゃんにこんなに買ってもらったの」

「あ、もしもし、この間欲しいって言ってた、何だっけ、ヴィトンのバッグ?あれ買いに行こう」
 同乗した女性を送ると男性は電話を掛けだした。
 ヴィトン、の発音がややぎこちない。
「今からでも行けるよ」
 この男性の、この奉仕的な言動が生まれる理由は何によるものなのだろうか。

「もしもし、お前がさ、この前お薦めしてた時計のメーカーなんだっけ?」
 ヴィトンの電話が終わるとまた掛けた。
「ん?ぶ、ブレゲ?」
 時計に興味などないものだから聞いたことがない。
「どこにあんのそれ?」
 これも買うのだろうか。
 何がこの男の購買意欲を引き立たせるのだろう。

「(何⁉買うの⁉500万くらいするぞ…買えないか)」
 電話の向こうから聴こえてきた。
 どうやらブレゲは相当な値段らしい。
「別に買うとは言ってないだろ」
「(じゃあなんで急にどこにあるか聞くんだよ)」
「いや、お前喜ぶかなあ、って」
「(いら…買おうとしてんじゃん)」

「あそこのタワマンの車寄せで」
 500万するブレゲという時計の電話がうやむやに終える頃、そう示された。
「いや、そこです」
「はい、それは分かってます。でも車寄せはこっちからでないと行けないです」
 少し複雑なぐるりと回る車寄せに向かうと、男は当然のごとく正そうとした。

「丁寧な運転、ありがとうございました!お釣り入りませんから」
 男性は不自然なほどに意気揚々としながら2620円の運賃に万札を置いていった。
 降りていく彼の背中を見ながら戦慄を覚えた。
 最初から最後まで、何かに支配されているような、本意で動いているようには思えない男性だった。


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