教会という場所

従姉妹の結婚式で、いわゆるチャペルみたいなところで初めて「慈しみ深き」を聞いてなぜか感動した。音楽経験者なのでその旋律にかもしれないし、雰囲気だったかもしれない。
学生時代に「天使にラブソングを」のゴスペルを学校祭でやったことや「タイタニック」が好きだったこともあるかもしれない。
漫画の「聖⭐︎おにいさん」からイエスや天使たちに親しみを持ったのかもしれない。

どういう縁かわからないけれど私は気づいたら「この世には何かがあるんじゃないか」と思うようになっていた。
それがどうやら自分の考えに近いのがプロテスタントっぽいとか。
子供の頃から教会に通っていたのでない限り、日本人にとってかなり抵抗があると思う。
私も「キリスト教 なぜ」「教会 初めて」などの検索ワードでいろんな人の体験談を読んだし、実際にYouTubeで日曜礼拝のLIVEを観たり、教会に電話して牧師さんから話を聞いた。

前置きとして、機能不全家庭に育った私は代々仏教の家系で育っている。
とはいっても葬儀や墓参りに連れて行かれたり、初詣で神社に行ったり、無宗教だと感じていた。

たまたまトラウマ治療を受ける先に(まだ日本でも専門的な治療を受けられる病院は少ない)ようやく辿り着いたとき、並行して教会のことを調べていたらすぐそばにプロテスタント教会があった。
なぜこの記事を書いているかというと、そうすることが自分に意味があると思ったからだ。本当は長文を書けるような精神状態でもない。
周りには宗教2世もいたし良いイメージがなかったのに、学生時代に四大宗教を学んだときからなぜか興味を持っていた。

まず私はその教会に見学を申し込むことにした。
けれども健康状態からその日に行くことはできなかった。
申し訳ないと思いながら、こういうとき牧師さんはどう考えるんだろう?と思っていた。
きっとその牧師さんが「自分も最初はわからなかったけれど鬱になってから…。」と正直に話してくれたからかもしれない。

人の弱さを私は人一倍知っていると思う。
それは自分の心身の病気や家庭環境、いろんなことからだと思うのだけれど、心理学についてかなり詳しく学んでいた。
それで人は、もちろん人間と信頼し合い、愛し合えるなら最高なことだけど、人は脆いと思ったことも理由にある。

約束していた日とは別の日に、訪問看護師に教会まで車で送ってもらって教会に辿り着いた。
というのも前日にある店のキャンペーンに当選していて導きを感じたからだ。誰もいなければそのまま店に寄って帰れば良いと思っていた。

教会といえば結婚式で見るような大きな建物で厳かな雰囲気があって神聖な場所だとイメージしていたけれど、そこは雑居ビルの2階だった。
それでよくわからずにタトゥーショップのお兄さんに聞いたりしながら辿り着いた教会は、ただの事務所という感じだった。
迎えてくれた男性が電話で話していた牧師さんでお茶菓子を出してもらって、私の半生や教会に興味を持ったきっかけを話した。

聖書やパンフレットをもらい、教会でどんなことが行われているのか説明されたのち、実際に行われる聖書についての勉強?や祈り方を見せてもらったのだ。
是非イベントや日曜礼拝を見て欲しい、と言われた。
そして明日が初めての礼拝なのだが送迎もあり、ただ人々がどう過ごしているのかを見るだけでいいと言われている。
驚いたのは部屋まで迎えにきてくれることだった。
それは断れないだろう…。

そしてクリスチャンと呼ばれている人々が実際に日曜に集まって何をしているのか見てみたいという好奇心がある。
実は私は、それが何に向けてなのかわからないけれど「これから行きます、よろしくお願いします」「今日はこんなことがあって嬉しかったです。ありがとうございます。またよろしくお願いします。」と挨拶をする習慣がある時から身についていた。
だから祈り方を知ったとき、よくはわからないけれど自分の祈りに「アーメン」と唱えてくれる誰かがいるということに興味を持った。
それは共感や思いやりなのではないか、と思ったのだ。

それなりに生きていると、どうしても自分の力ではどうにもならないことやどうしたらいいのか見当もつかないことがあった。
そんなとき必ず誰かや何かが私を助けてくれた。
ある仕事をしていたときのお客様が「それは普段あなたがしていることが返ってきているだけなんだよ」と話していた。
そんなこともあって、自分の思うようにならないときでも少し余裕があるなら何か世の中の手伝いをすることで誰かが報われたと思ってくれたらいいな、という気持ちで善行ポイントという考えを持つようになり実践していた。
不思議なことにそうすると本当に運が良くなるというか、窮地に陥ったとき誰かに助けられる。

それがどういうことなのか知りたくて、私は明日教会に行こうと思っているのだ。
文章を書くほどの精神的余裕もなく、ライターのようなスキルがあるわけでもないのだけど、私が教会に繋がる際の不安を軽減しようとクリスチャンの方々が書いてくださったnote記事を読んだからには私も何か伝えたいと思った。

教会に行ったからといって、クリスチャンになる必要はないし、教会に行かなくても何か思うところがあれば同じものを信じる仲間として受け入れてもらえたり、何かの存在が導いてくれるそうだ。
そういう自由さみたいなものがカトリックよりプロテスタントの方が自分に合っていると感じたことを結びとして、明日どんな体験をするのかどこか安心しながら日常生活に戻ろうと思う。

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