コンサータを飲む機会に恵まれた

25の頃、朝9時半からの事務職をしていたときに
「自分には絶対にドーパミンが足りない」
そう確信していた。
他にもそういう人はいると思うけれど身体のどこがどうなって不具合が出ているのか、私には何となくわかるのだ。

多動については24のとき上司に指摘された。
自分ではそのつもりはなかったのだが、足をぶらぶらさせたり椅子をクルクル回したり頻繁にトイレに立ったり(それは集中力を補うために珈琲をがぶ飲みしていたからだ)すると注意された。
その指摘の内容が血液型に基づいていたことはさておき。

そして何度チェックしてもミスをする。
チェックをしてもミスに気づけない。
出社するとデスクには、間違い箇所の指摘の置き手紙が毎日のように置かれている。気づけば新人もミスをしなくなっているというのに、だ。
どうして自分がミスをするのか私が1番知りたかった。

思えば小学生のとき、ランドセルを忘れて登校したり上履きのまま帰宅したり傘をいくつも忘れたりして母に呆れられた。
机の中もカバンの中もプリントがぐちゃぐちゃに押し込まれてその形になっている始末だった。

そうして私の自尊心は削られていった。

私が仕事を辞める理由はいつもこうだ。
「私はいない方がいい」

ようやく出会えたコンサータ。
静かな世界が私を待っていた。YouTubeで音楽を流しながらTVのついた部屋でTwitterをしていたような脳内が、まぁ脳内BGMくらいは流れ出すのだけども自力で止められる。勝手に1日中1曲リピートし続けない。

連想が止まらなくなることもなかった。
そうして私は気づいたのだ。
次々に浮かんでくる考えや記憶に振り回されて感情がジェットコースターのようだったのだと。
それで病まないわけがない。
嫌な記憶が蘇っては次から次へと芋蔓式にエピソードが出てくるのだから、周りからも執念深いと言われていた。

それは私のせいではなかったのだ。恐らく。

健常者はこんな世界で生きているのだろうか、と思ったら心底羨ましくなった。
12時間と言わず死ぬまでその状態でいられたらどんなに良いことだろうか。
主治医はまだ確定ではないと言っていたけれど明らかに確定だ。私だってまさか、こんなに違うとは思わなかった。

趣味が楽しめる。
集中して何かに取り組める。人の話を聞ける。途中で他のことに気を取られないから家事も捗る。
携帯を手放しても不安にならないから筋トレも出来る。ストレス解消とは何なのか、初めて知ったような気持ちだ。

ADHDの他にも精神疾患を抱えているとはいえ、そのことに振り回されないので生きるのが楽だ。
私は独自のアイディアなんて湧いてこなくていい。普通になりたい。
とはいえ、まずは継続して処方してもらえるかどうかに我が人生がかかっているのだから今はそのことだけが心配だ。

ADHDの私が本当の私だと第三者がいくら言ったところで、死ぬほど困るのは私なのだから知ったことではない。
幸いそんな人は周りにはいないはずだけれど、もし言われたら、
「だったら代わってほしい」
と言うだろう。

買い物から帰っている途中、気づいたら買い物カゴを手に持ったままだった経験をしてから言って欲しいものだ。

友達にも服薬してから話が簡潔になったと言われた。



12/3
この記事をAI機能を使ってSNS投稿向けにまとめてもらった。

「私が気づいた、自分と他人との違い。ADHDの私が普通を感じられるコンサータと出会って、生活が変わった!集中力アップで家事もはかどり、ストレスも解消。不安にならないから筋トレも楽しめる!#note」

後半に胡散臭さが生まれた。脳内多動が落ち着いてってところを伝えたい。ノリはわかる。

「子供の頃から感じていた、周囲との違い。ADHDの私がコンサータと出会って経験した脳内多動のない生活。ストレス解消に必要なのは何かに取りかかるための下地だった。#note」

どうだろう

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