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黒豆を煮る。 他の調理がてら煮詰めていて、頃合いかなというところで火を止めました。頃合いというのも何の目安もないのだけど、ある程度火にかけていて、ある程度煮汁が減っていて、それでいて黒豆が煮汁から顔を出さない程度までとしたのでした。 ほんのり甘く、黒豆の美味さも引き出され、おいしくいただいています。 と行き詰った事態を嘆く様子によく使われる言葉ですね。でも、どうなんでしょう。黒豆が味をふくんで煮詰まっていく様子を鑑みると「煮詰まる」の意味ってそうなの?と
アンスクーリングな我が家。ホームスクールは家庭を基盤にこども主体のまなびの環境を整えること(note『日本のホームスクール』より)にあります。それはこどもの言うとおりにするとか、こどもの希望通りにするとか、こどもの好き勝手を許すなどというものではなく、大人が大人としての視点を持ちながら、こども目線に寄り添うことで可能になるまなびの仕掛け作りという側面もあるといえます。つまり親と子の協働の賜物がホームスクールというわけですね。 日本の場合、先にこどもが始めることも可能なのが
「さんすうができる・わかる」って、計算を解くことだけでしょうか。アンスクーリング暮らしからまなぶエッセンス。今回のテーマは「さんすう」です。 Essence:概念を理解する 家庭学習というと、教科書や参考書とノートをダイニングテーブルの上にひろげて親子で勉強しているイメージがあるでしょうか。「さんすう」に限っていえば、わが家では計算問題を解いているとか、ノートに書いていることはありませんでした。 「算数」って、元は「算術」と言いましたね。算術というとなんだか格好いです